マカオ半島を走る大通り高士徳大馬路に面して紅街市という大きな市場がある。その西側の奥まったところに小さな製菓店があった。看板には『晶記餅家』とある。何十年も前と変わらぬ趣がある本物のお菓子屋さんと感じられる店だった。店頭には、箱詰めのお菓子がきれいに並んだショーケースがある。その上にはいろんなお菓子が入ったアルミの蓋の大きなガラスの壷がいくつも並んでいる。マカオの伝統的なお菓子の店だ。
店の間口は4メートルぐらい、奥行きは2メートルぐらいだろうか。ショーケースのすぐ奥には作業台、店の左奥には大きなオーブンがあり、ここでお菓子をつくって売っているのだとわかる。店の中にはランニング姿のおじさんと柔和な表情のおばさんがいる。透かしの入った薄い緑色の蛇腹状の扉、棚に置かれた四角いブリキ缶。赤い小さな神棚、丸い木の腰掛、並んだお菓子のガラス壷。そしておじさんとおばさん。この店すべてがかっこいいと感じた。1960年代のマカオを舞台にした映画のワンシーンの中に入り込んだように思う。
ガラスの壷に入ったお菓子をいろいろ少しずつ買ってみた。貝殻のような形やかんざしの飾りのようにねじれた形の揚げ菓子、小さなパイのような菓子、なかには日本のらくがんのような型菓子もあった。杏仁餅というマカオの名物だ。作業台に目をやると、台の端につややかな木型が見えた。お菓子の木型に以前から興味をもっていたので、その木型は何年ぐらい使っているのか聞いてみた。
「木型は30年、この店は50年だよ」
と教えてくれたおじさんは店の主人で鄭さん。30年使っているということは、鄭さんが父親から店を継いだ頃から使っていることになる。マカオ滞在中にまた来ようと思い、営業時間をきいた。年中無休で朝6時から夕方6時までやっているという。ここで朝早くからお菓子をつくっているのだろう。
「うちは正月も休まないよ」
と鄭さんは付け加えた。
夕方、鄭さんの店にお菓子を買いに来る人は後を絶たない。みんな、箱詰めのお菓子をいくつも買っていく。他の菓子店の紙袋を持った人が、鄭さんの店でまた菓子を買っている。きっと鄭さんの店は知る人ぞ知る名店なのだろう。買ったばかりの杏仁餅を袋から出し、ひとかけらを口に入れた。口の中でスーッと解けてアーモンドのような香ばしい香りが広がった。
マカオは不思議な島だ。古いもの、新しいもの、広東、ポルトガル、東洋、西洋、いろんなものが混在している。お菓子も同じ。ここにはいろんなお菓子が、しかも中途半端なものではなく、本物の美味しいお菓子がいろいろあるのだ。甘さも繊細で上品。どんなお菓子を食べても美味しくて感動してしまう。私にとってはお菓子の街だ。
マカオの中心、セナド広場に近いところにポルトガル系のお菓子が豊富だという『澳門珈琲』というカフェがある。店内のショーケースには、いろんなデザートがならんでいる。カウンターにいた店の男性に、これはみんなポルトガルのお菓子ですかと聞いてみた。全部ポルトガルと同じだという。味も甘さも同じですかと聞くと、「そう。ここにあるのは全部ポルトガルと同じだよ」
と答えた。何を食べるか迷ったあげく、焼きりんごと卵プディング、それから、四角いチョコレートケーキで頭に鶏卵そうめんがのっているのを頼んだ。日本でも、博多の鶏卵そうめんはポルトガルから伝わったお菓子として知られている。この鶏卵そうめんをなんと言うのか聞いてみると、「天使の髪」というのだそうだ。卵の糸はとっても細くてやわらかそうにカールしていて、ぴったりのネーミングだと思う。
いろいろ教えてくれた男性は店のマネージャーだった。名前を教えてほしいと頼みノートに書いてもらった。Marcoと書いてペンが止まった。できれば苗字もというと、Pauloと書き足した。もしかして、マルコ・ポーロさん?
「あなたの名前は、あのマルコ・ポーロ(Palo)と同じ名前ですか」
と聞くと、そうだという。すごい!と興奮し、
「あなたは有名な人ですね!」
と言ったら、マルコさんはフハハと楽しそうに笑っていた。しかし後で考えると、マルコさんは、子供の頃からずっと私が言ったようなことを言われてきていて、うんざりしているに違いない。よけいなことを言ってしまったと思う。
90年代、香港、台湾でエッグタルが流行り、日本でもブームになったことがある。そのオリジナルがマカオにあった。コロアネ島の静かな海辺でイギリス人が経営する『ロード・ストウズ・ベーカリー』の濃厚なタルトだ。オーナーのアイリーンさんは気さくでよく笑う。彼女の兄のアンドリューさんが、話題のエッグタルトをつくった人だった。4年前に他界し、アイリーンさんが後を継いでいる。
アンドリューさんがマカオに来たのは、勤めていた製薬会社の仕事でマカオに赴任したのがきっかけだった。マカオが気に入ったアンドリューさんは、会社がマカオを撤退したのを機に退社し、静かなコロアネ島に残った。ベーカリーを開き、そこでつくったエッグタルトが香港の雑誌やテレビで紹介されると、みんながまねをしてエッグタルトをつくって売るようになった。アンドリューさんは香港でフランチャイズを展開し、台湾や香港、日本にも広がったのだという。
エッグタルトの元祖は、ポルトガルのジェロニモス修道院のシスターたちがつくって売ったのが始まりと伝えられている。香港やその近辺では1940年代にベーカリーや点心のメニューに登場しはじめたそうだ。私は、昔ポルトガル人の宣教師たちががマカオで布教に使った古いお菓子のひとつが掘り起こされてブームになったのだと思っていたが、それとはあまり関係なくマカオに生まれた新しいお菓子だったのだと知った。
アイリーンさんはマカオにきて15年になる。「最初はマカオに来るなんて思ってもいなかったのよ。兄がエッグタルトブームで忙しくなって、私に手伝いに来てくれっていうから仕方なく承諾したの。2年間説得され続けてやっと折れたって感じです。その頃は音楽関係の仕事をしていて、私の生活はロンドンにあったから。でも、私も兄と同じで、ここが気にいっている。コロアネ島は静かで、のんびりしていて」
現在はベーカリーの近くに『ロード・ストウズ・ガーデン・カフェ』も開き、コロアネ島を訪れる人たちのくつろぎの場を提供している。
「私たちのエッグタルトは、ポルトガルのエッグタルトでもない、マカオのでもない。アンドリューのエッグタルトです」
アイリーンさんが、そう語っていたのが印象的だった。
コロアン島は、マカオ半島の南にある緑豊かな島だ。アイリーンさんの店の近くには、コロアン・ヴィレッジと呼ばれる集落がある。細い路地を入っていくと、カラフルで趣のある家が立ち並んでいる。集落を抜けたところには、漁師の神様、譚公を祀った譚公廟があり、昔は漁村だったことが窺える。集落のわきには、聖フランシスコザビエル教会がある。小さくてチャーミングな教会だ。以前はこの教会にザビエルの遺骨の一部が安置されていたそうだ。教会に面した広場には、野外のレストランカフェもある。ここで食事をしたり、ほんのり甘いデザートてのんびりひと休みするのによさそうだ。
もうひとつ最近マカオでブームになったお菓子がある。セラドゥーラという、メレンゲ入りのクリームに、砕いたクッキーをのせた伝統的なポルトガルのデザートだ。2002年、韓国と日本で共同開催されたサッカーのワールドカップに際し、ポルトガルのチームがマカオで練習をした。チームの専属シェフがセラドゥーラをつくった。それがきっかけでセラドゥーラがブームになり、今ではレストランやカフェの定番デザートになっている。
マカオの街は石畳が多い。くねった細い石畳の坂道を歩き回っていると、ヨーロッパと中国を行ったりきたりする。街を巡りながら、カフェや屋台のお菓子、アイスクリーム、豆腐花、牛乳プリン、具沢山のぜんざいなどを食べて歩いた。私が食べたお菓子は、マカオのお菓子のほんの一部。まだまだ美味しいお菓子があるのはわかっている。日本に戻っても、またお菓子を食べにお菓子の島マカオに通うことになりそうだ。
マカオを発つ前日の朝、鄭さんの店に行った。何度か鄭さんの店にお菓子を買いに行っていたが、今日はお土産に箱詰めの菓子を買っておこうと思ったのだ。
鄭さんは、ショーケースの向こう側でお菓子作りの作業中。作業台で生地を捏ねているところだった。「おはよう」と鄭さんと奥さんに挨拶する。ケースに入ったお菓子を指差して注文すると、奥さんが用意してくれる。その間、鄭さんの作業を見ていた。鄭さんは、オーブンで焼けたクッキーをひとつ取ってそれをふたつに割った。そのひとかけを自分の口に入れ、残りの一片を私にくれた。焼きたてで暖かく、ふんわりとして美味しい。鄭さんが食べたお菓子の残りをもらい、鄭さんと兄弟の契りを交わしたような気分になった。
『Skyward』2010年9月号 写真・文 沙智 Photographs&Text©️Sachi
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