最近、台湾映画『艋舺MONGA(邦題:モンガに散る)』(2008年)を見た。台北の艋舺という街を舞台にした、任侠の世界に引き込まれていく男子高校生たちを描いた話だ。時代設定は1980年代。その頃私も高校生だったので、ポータブルカセットプレーヤーで音楽を聴くことや、半袖シャツの袖口を折る着方など、私が高校生のころしていたことと重なった。恋をした主人公の高校生が、路地の雑踏の中をウォークマンで音楽を聞きながら歩き、自分だけの世界に浸るシーンを観て、当時私自身が味わった人混みの中で別の世界に浸るという快感がフラッシュバックした。忘れていた感覚が蘇り、そうだったんだよなーと思った瞬間、涙が出てきてた。映画の中の艋舺の街は、80年代よりもっと前の、私が小さいころの風景も混じっているように見えた。艋舺に行ってみたら、なにかわからないが、忘れている風景や感覚に出会えそうな気がした。そんな衝動を行動に移す気になったのは、台湾が近いからだろうか。


 艋舺は、台湾北部を流れる淡水河の水運の要所として栄えた最も古い地域で、現在の萬華区にあたる。艋舺龍山寺という台北最古の寺などがあり観光名所になっている。行ってみると都会の商業ビルで覆われ、ここで昔の風景を探すのは難しそうだった。清朝時代に建てられたレンガ作りの建物が残る一画が、剥皮寮歴史区として保存され地域の歴史を解説する資料館になっている。資料館を見て回ってみると、台北近郊にも清朝以来続く古い街、「老街」が点在することを知る。老街は台湾のレトロスポットとして観光地になっているところが多いそうだ。でも、懐かしい風景を探すなら、観光化した街だけでなく生活感のある街に行ってみたい思う。観光ガイドにはあまり取り上げられていない「新荘老街」というところに行ってみることにした。


 新荘老街は淡水河を挟んだ台北市の対岸、新荘市にある。昼過ぎ新荘老街(新荘路)を歩いた。レトロな看板を掲げた洋品店や、靴屋さんなど、開いている店はほんの数件だけ。ほとんどの店のシャッターは下りていて通りは閑散としていた。その中に、石造りで趣のある古い建物を見つけた。ドアは開け放たれ、椅子に座った黒い人影が見える。思い切って、中にいる年配の男性に、どのぐらい古い建物なのか聞いてみた。「私の父の代からここに住んでますから、110年以上はたってますよ。清朝末期に建てられたものですから二百年ぐらいたってるかもしれませんね」と教えてくれた。あなたはどこからきたの?と聞かれたので、日本から来ましたとこたえると、「そう、日本ですか。私は日本の統治時代、小学校三年生」と日本語で話してくれた。私が自分の名前をノートに書いて見せると、おじさんも、私の名前は林辰輔(りんたつすけ)と言って名前を書いてくれた。林さんの家は代々姓名判断師だそうだ。木製の机の引き出しから赤い紙の診断書を出して見せてくれた。結婚の日取を占ったものだそうだ。紙には林さんのお父さんの名前、林さん、そして林さんの息子さんの名前が印刷されていて、この土地の由緒ある占師であることが感じられた。
 新荘路をさらに進むと、そこには製麺店、刃物店、お米屋さんなどが店を開けていた。店構や店の中の様子に昔の姿が感じられる。どの店も、看板に老舗であることが書かれていた。その中に間口をいっぱいに開けて作業をしているお豆腐屋さんがあった。看板には「百年老店尤協豊」」とある。店先には薪が積んであって、大鍋や大きな蒸篭など道具も昔からのもののようで魅かれる。中で中年の男性と女性が作業をしていた。
「こんにちは。今豆腐作っているところですか?」と声をかけると、もう終わったところだよという。よく見ると大鍋に水を入れて洗っているところだった。男性はこの店の尤信富さん。このお店は古いんですかと尋ねると、私らが四代目だから、百年以上経ってるよという。私が日本から来たとわかると、店の奥から豆腐を一つ持ってきて、食べてごらんといってくれた。豆腐の一種で豆干というものだ。尤さんの豆干は、今まで食べたことのある豆干とは別物のよう。弾力があってふわふわ。プディングのような滑らかな口当たり、味が濃くておいしい。普通、豆干には石灰を入れるが、尤さんたちは入れない。曾おばあさんが店を開いた当時の製法で作り続けてるのだそうだ。「作業が見たかったら、朝7時と夕方7時から作ってるから、その時間においで」と教えてくれた。

 新荘路から細い路地を入り裏通りに出ると、淡水河の長い堤防にぶつかった。堤防は新荘路と平行に走っている。今は堤防で川は見えないが、昔は船が行き交う水辺の街だったのだろう。台湾で老街と呼ばれているところは、かつて物流の拠点として栄えた街だ。台北周辺の輸送は淡水河の水運が中心だったので、土地の産物を輸送しやすい河のそばに街が発達した。淡水河の上流の老街には、かつて茶商の街だったが今は豆腐料理で有名な「深坑老街」や、バロック調の装飾を施した建物が並ぶ「大渓和平老街」などがある。大渓和平老街には、木製の仏具や家具の店、香木の店があり、昔は森林の産物を商う街だったことが窺える。


  淡水河の河口には、古くから外国との交易を行っていた街、「淡水老街」がある。山の手には、旧イギリス領事館やスペイン人が建てた紅毛城、淡水教会などヨーロッパの建物がある。なかには、カナダ人宣教師がつくった診療所「滬尾偕醫館」のように今はカフェになって地元の人の集いの場になっているところもある。淡水老街(中正路)の両側には、飲食店や土産物店が並ぶ。その裏側の川沿いの通りには、屋台料理の店や機械仕掛けのパチンコ台や射的など昔風の遊具をそろえたゲーム店などが並び、お祭りのようだ。駄菓子屋さんを見つけ、中に入ってみると、目をクリクリさせながら店の中をぐるぐるぐるぐる歩き回っている小さな男の子がいた。私が小さいころ毎日通っていた駄菓子屋のおばさんに「いつも買うまでに30分かかるね」といわれたのを思い出し、可笑しくなった。
  河口方向へ進むと、川に沿って静かで気持ちのよい木陰が続いていた。落ち着いたカフェやレストランがある。川と対岸の観音山を眺めながら一休みした。

 川沿いを歩いていると「三協成菓子博物館」という看板が目にとまった。建物の中に入ってみると、お菓子の木型がたくさん展示してある。大きさも形も様々な木型が並んでいた。奥の階段を上がると、そこは「三協成餅舗」というお菓子屋さんだった。店のオーナーは李志仁さん。1935年に創業そ、75年続く店で、淡水で一番古い御菓子屋さんだそうだ。博物館の木型は、以前李さんの店で使っていたものと、昔淡水にあった清朝時代から百年続いた御菓子屋さんから譲り受けたもの。餅菓子や月餅、落雁などの木型だ。博物館に展示しているのはほんの一部で、李さんの木型コレクションは1000個を越すという。淡水の文化を残したいという思いで博物館を開いたそうだ。「私はドイツ語、日本語、英語、フランス語ができます。外国から料理やお菓子の本を取り寄せて、新しいお菓子を作るためにいつも研究してます」という李さんは眼力が強い。力がみなぎっている。博物館の木型の中には、クリスマス用につくったという、聖書の一説をモチーフにした落雁の木型があったりして、昔から新しい”もの作り”をしてきたお菓子屋さんなのだと感じた。


 李さんの店のある辺りから船が出ていて、淡水河の河口の先端にある港、魚人埠頭まで行くことができる。船を降りると、海に向かって長い桟橋が伸びていた。その先には南シナ海が広がっている。日が沈む頃、人々は散歩に出て、海を見ながらのんびりとした時間をすごしていた。


次の日、豆腐屋さんの豆腐づくりを見に、夕方、新荘老街に行ってみた。昼間閑散としていた通りは、服やアクセサリーを売る店が連なって開き、夜市が立って賑やかな通りに変わっていた。
 夜市を抜け、お豆腐屋さんのところに行くと、おー、来たね、と前日の昼間会ったと尤さんが笑顔で迎えてくれた。店先にいる人たちにも、昨日来た日本人だと紹介してくれる。3人の男性が黄色い豆干を網の上で焼いては素手で返していた。みんな尤さんの兄弟だそうだ。それぞれ仕事を持ちながら、兄弟4人でこの店の豆干作りを守り続けているという。
 店先の椅子に座って話していた年配の男性が、うちに日本語を勉強してるのがいるから、ちょっと呼んで通訳させよう、待っててくれといって歩いていった。赤ちゃんを抱いて散歩にきたおじさんが、これは焼豆干といってここにしかないんだよと教えてくれる。尤さんの兄弟の一人が焼きあがったばかりの豆干を私にくれた。受け取ったが、熱くて持てない。アッチッチと言っている私を見てみんなが笑っている。尤さんの奥さんが袋を持ってきてくれて、それに包んで食べた。焼く前のよりもっとふわふわで香ばしい香りがする。そこに、20歳ぐらいのかわいいらしい女性が小走りでやってきた。まだあんまり日本語上手くないんだけど――、と言いながらも、焼豆干の黄色は生姜でつけた色で、焼くことで香りをつけるのだと一生懸命通訳してくれた。この街では、朝に白い豆干を食べて、夜に焼豆干を食べるのが習慣になっているという。焼豆干はここにしかないというのだから、尤さんの曾おばあさんがここの街の食文化を生み出したのだ。

 店にはひっきりなしにお客さんが訪れ豆干を買っていく。尤さんはお客さんに冗談を言って笑わせている。尤さんの兄弟たちも近所の人と楽しそうに話ながら豆干を焼いている。店先の椅子に座ってお茶を飲みながら話している人がいる。
尤さんたちやお店に来ていた人にお礼を言い店を後にした。振り返って見ると、尤さんの店の灯りの下にみんなが集っている風景が見えた。温かい、いい風景だなと思う。さっきまで、その風景の中に自分がいたのだ、と気づきうれしくなった。

『Skyward』2011年10月号掲載 写真・文 沙智 Photographs&Text ©️Sachi