ベトナムに来るたび気になるものがあった。街のあちこちで見かけるカラフルで細長い建物だ。
建物の幅は1間(約180センチメートル)ほどで、3階建て、5階建て、8階建てと高さはさまざま。ひょろっと高くそびえている。建物全体は淡い黄色やサーモンピンクなどきれいな色に塗られている。その姿は色鉛筆が並んだようでチャーミングなのだ。そんなビルを私は勝手に”ペンシルビル”と呼び、いつかペンシルビル巡りをしたいと思っていた。
私がのった飛行機は高度を落としながらホーチミンシティーの空港に近づいていく。窓から下を覗くと、蛇行した茶色いサイゴン川、街や道路が見えてきた。近くにつれ、街の建物のほとんどが色とりどりの細長い建物であるのがわかり、興奮する。今回は、その細長い建物を巡って遊ぼうとやってきたのだった。
ドンコイ通りに面したホテルに宿をとる。夕方まだ日があるうちに散歩をしようと通りに出た。ドンコイ通りは、ホーチミンシティの中心にある洗練された美しい通りだ。サイゴン大教会から伸びる通りは、オペラハウスを通り、ブティックやカフェなどのショップ街を抜けてサイゴン川に出る。ミサにはたくさんの人が集まるレンガ造りの壮麗なサイゴン大教会、背の高い街路樹が茂る緑豊かな公園、19世紀末に建築されたサイゴン中央郵便局など、重厚な建物と緑が調和した美しい都市空間が広がる地域だ。
ドンコイ通り付近を歩いていると、レストランやショップのどのビルも、あの気になる細長い建物だったことに改めて気づく。その中に一風変わった不思議な建物を見つけた。一階はシャッターが閉まっているが、2階には朱塗りの観音開きの戸が付いていて、屋上らしきところには木々が生い茂っているように見える。私にはお寺か神社のように思え、その建物のそばで飲み物を売っている女性に「これはお寺ですか」と聞いてみた。女性はベトナム語で何か答えてくれるが、意味を理解しない私に拉致があかないと思ったのか、その建物の呼び鈴を押し、ちょっと待てという。いきなり建物の中の人に会うことになりそうな予想外の展開にドキドキする。ガラガラっと1階のシャッターが上がり、年配の男性が現れた。
「ここはアンティークの博物館ですよ。よかったらご覧になりますか。僕個人がやってるものですから、入場料などはいただきません」という。アンティークは少し興味があるので拝見させてもらうことにした。
男性の名はクンさん。「僕はアンティークキングです」というクンさんは、この辺ではとても有名で、みんなは彼のことを億万長者だとうわさしているのだそうだ。「骨董品を買うのにお金は使ってしまったから、僕が持っているのは骨董品だけですよ」とクンさんは笑っている。
コレクションは、ベトナム、中国、フランス、それに2世紀から17世紀までベトナムにあった王国チャンパのものまであるという。
細い階段を上り、外から見えた赤い扉のある部屋に上がった。窓の近くに大理石の丸テーブルと木の椅子。大きな壺。奥に行くと木製の寝台があり、その奥には漆塗りの家具。陳列棚には、藍の模様が入った皿が、ショーケースの中には、象牙細工の人形などが並んでいる。
建物の中は、外から見た印象とは違って広い。奥行きは10メートル以上ある。この奥行きのある短冊状の造りは、古くからある商家の建築様式で、伝統的な都市住宅のスタイルなのだという。現存する古い斧は19世紀に遡る。たいてい幅は2~4メートル、奥行きは15メートル前後で長いものは40メートルもあるそうだ。このような商家が並ぶホイアンの町並みは世界遺産に、ハノイの36通はベトナムの文化財に登録されている。伝統的な商家は2階建てが基本。最近は4階、5階建と高くするのがステイタスのようになっているが、クンさんは昔の建築様式を大切にして、あえて高くしない。
つまり、ペンシルビルは、昔から伝わる様式の建物に階を重ねて高くなったものというわけだ。
「ベトナムは践祚すでたくさんのものを失いました。貴重な美術品もたくさん外国に出て行ってしまった。実は、祖父も父も骨董商を営んでいたんです。僕は今、当時外国に流出したベトナムの文化遺産を買いもどし、保存しているのです」
クンさんは、戦争中はUPI通信社のカメラマンだっという。棚の中に、カメラを首から下げてポーズをとるハンサムな青年の写真が飾ってあった。サイゴン陥落の年、1975年のクンさんだった。
翌日から本格的にペンシルビルを巡り始める。ドンコイ通に面してきれいな黄色い4階建の建物を見つけた。コバルトグリーンの窓枠が緑と調和して美しい。『Tara&Kys Art Gallery』というアートギャラリーだった。オーナーはタラさんとクリスさん夫妻。二人ともアジアをテーマに作品を作り続けているフランス人のアーティストだ。ベトナムに来て18年になる。
このギャラリーの建物は100年以上前のものだという。建物の幅は4メートル、奥行きは15メートル。天井がとても高いので圧迫感がなく気持ちがいい。天井の高さは日本の家屋の2倍近くありそうだ。柱や窓枠も当時のものがそのまま使われている。階段の手すりの装飾部は当時のフランス製のものなのだそうだ。1、2回はギャラリー、3、4階は住居スペースと二人それぞれのアトリエになっている。タラさんのアトリエの窓からはベランダにあるたくさんの緑が見える。「以前は裏にもベランダがあって、窓を開けたら風通しが良くて最高に気持ちよかったんだけど、後ろにビルが建っちゃったから裏の窓は全てふさいでしまったのよ」と残念そうだ。
二人はフランス、シャモニーの出身。アルプスの最高峰モンブランの街だ。フランスにいる頃からチベット人やベトナム人と親しく、アジアに興味を持っていた。92年にベトナムで作品を発表する機会があった。初めて訪れた当時のベトナムは、見るもの全てが新鮮で強烈にインスピレーションを掻き立てられた。それ以降、ベトナムを拠点に活動しているのだそうだ。
「92年の展覧会で。蓮の華を描いた絵を出品したの。ベトナムの人は、フランス人が蓮を描くなんてとすごく驚いていた。蓮はベトナムの象徴だから。同時に私たちにとても興味を持ってくれたのよ」と話すタラさん。自分たちの好きな場所で、作品を作りながら暮らす。シンプルな生活スタイルが素敵だ。
ドンコイ通りを離れ、観光名所でもあるベンタン市場周辺の繁華街を歩く。体が赴くままに任せて歩き、建物の色やデザインを見て楽しむ。気ままに建物を伝って遊び歩く。細長いビルの洋服屋さんを覗いたり、カフェで休む。強烈なショッピングピンク一色のビルを見つけ、こんな色に塗ってしまうヤツはただものではないと思う。細長いビルの時計屋さんの店内を見たいので、腕時計の電池交換をしてみる。ヒンドゥー寺院にでうわし、参拝に来た地元の人たちの後に続いて入ってみる。
書店の前の歩道に人が集っているので覗いてみた。一人の男性が、万年筆に名前を彫っていた。
フリーハンドできれいに彫ってしまう。集まっているのはその順番を待つお客さんたちだった。絵の入った額に彫ってもらっている人もいる。私も近くの店で万年筆を買い、名前を彫ってもらった。
小さなホテルが多いデタム通りを南へ行くとローカルな雰囲気に変わる。路地の奥に見える細い建物につられて、そのまま路地に入る。迷路のような路の両側に家々が並んでいる。家の壁や窓枠などの装飾や色が独特で妙に魅かれる。青色の雑貨店、ベトナム歌謡が響く玉突きの店。路地を抜けたところに目立って細長い建物があった。1階がインターネットの店になっている。ひと休みにメールチェックをしようと中に入った。奥行きのある店内の両側に何台ものパソコンが並び、若者や子供たちでいっぱいだ。奥の方には重厚な木製の階段と大人の背丈ほどもある大きな壺が見える。普通の家の1階でインターネット屋さんを営んでいるようだ。
ご主人はフォンさん。ベトナムの建物に興味を持っていることを話すと、家の中を見せてくださった。以前は2階建だったが、子供達が成人してそれぞれの部屋が必要になったので、去年4階建にした。建物の幅は3メートル、奥行きは18メートルある。天井がとても高いので室内は涼しい。広々とした素敵な家だ。リビングにある水槽の中を体調20センチメートルほどの大きな魚が泳いでいる。「その魚は、この家を改築する前の年に買ったのです。買った時は5センチぐらいだったのが今ではこの通り。家と一緒に大きくなってしまいました」とフォンさんは微笑む。フォンさんの自慢は成人した娘や息子たち。娘のイェンさんは、幼稚園の先生をしている。父親の隣にぴったりくっついて座るイェンさんをみて、仲の良い親子なのだなと思う。
建物をめぐる旅は、いつの間にか人との出会いの旅になっていたように思う。言葉をかわしたり、笑ったり。人との触れ合いが旅を楽しくする。この旅でわかったことは、私が勝手にペンシルビルとよんでいた建物は、昔のベトナムの暮らしの中から生まれた現代のベトナムスタイルの建物だったということだ。古いものを捨てるのではく、そこからセンスの良い独特なものを作り出すベトナム。建物を巡っているうちに、そんなベトナムの一端に触れたように思う。
『Skyward』2009年11月号 写真・文 沙智 Photographs&Text©️Sachi
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