ラオス・竹のある暮らし

ーーー 私たちの国にはたくさんの種類の竹が生えていて、いろんなものに使われています。たとえば家をつくるときの骨組み、壁、床、塀、垣根になります。また日傘、籠、魚獲りの罠などの日用品や仕事の道具も竹生です。それ以外にも戸棚やべッド、テーブルや椅子など、竹は道具にもなります。竹は私たちの生活にとても役立ちます(ラオスの『小学3年生国語教科書』より)。ーーー

 中国雲南省に国境を接するラオスの山や森や川岸には、マイヒヤ、マイパーン、マイサーン、マイボン、マイライ、マイソート、マイカーオラームなど様々な種類の竹が生い茂っている。

 ラオスの古都ルアンプラバンから車で北へ。ラオスの旅は山越えの連続だ。となりの町まで行くのに、山をいくつも超えることもある。

 川に沿って険しい道を上っていくと、密生した植物群が太陽の光をさえぎり、薄暗いジャングルのようになっていく。太い幹と根を蛇のように這わせた大木。天に葉を大きく広げた芭蕉や地面を覆い這っている巨大なシダ。まるで太古のジャングルに入ったようでわくわくする。

 標高が上がり、少しずつ視界が明るくなってくる。と、道端に突然人影が見えた。2メートルはある長いノコギリを担いで山奥に分け入っていく木こりたちの姿だ。

 峠に近づくにつれ、道を囲む渓谷の斜面には桜のような薄桃色の花をつけた樹々がところどころに見える。東南アジア特有の赤土の道を、鮮やかな民族衣装を着た娘たちがおしゃべりしながら歩いていた。背負った竹籠から、採ったばかりの柔らかそうな筍の白い色がのぞいている。

 峠を越えて小さな盆地に出ると、20戸ほどの小さな村があった。山の谷間にたたずむ高床式の家々は、絵巻物のようにしっとりして美しい。

 村の中に新築の家があった。その向かいの家から出てきた中年の男性マンさんに話しを聞いてみると、結婚する娘の新居としてマンさんが3ヶ月前に建てたものだと教えてくれた。

 家は柱も床も全て竹でできている。家の外には竹製の農具が、家の中にも竹製の日用品が置いてあった。魚捕りに使う筒状の罠、鉈の鞘も竹で編んだものだ。もち米を蒸す蒸籠、蒸したもち米を入れておくバスケット、細工の細かい団扇、農作業に使う様々な大きさの籠、どれもこれも竹で編んである。この新築の家と竹製品は、すべてマンさんが自分でつくったのもだった。

「竹なら金がかからないからね」と、マンさんは軽く言うが、建物から生活必需品までそっくり自分の手でつくってしまうのだからすごい。

 ラオスの男性が作るのは日用品だけではない。楽器も自分でつくって奏でてしまう。少年たちはナイフが使いこなせるようになると、父や祖父からラオスの代表的なリード楽器ケーンや弦楽器シーソーの作り方を習うという。日本の笙の原型みたいなケーンは、少年たちがやがて恋をして、自分の思いを女性に伝える愛の楽器でもある。

 車はさらに北へ向かい、低い尾根伝いの道を走った。途中、見晴らしの良い山間の道で偶然、結婚式に出会った。花嫁が実家から夫の家へと向かう嫁入りの行列だ。供物を携えた花婿の父親を先頭に、嫁入り道具を入れた竹の箱を花婿が担ぎ、そのあとに花嫁が続いて歩いていた。村外れの小川まで来ると、花嫁の父親が、青い竹筒に入れていた酒を青竹でつくった杯に移した。父親は酒杯を手に歌を唄いはじめた。それは息子に嫁が来たことを祖先に伝える歌だという。歌声はつぶやくように低く響き、川の流れに溶け込んでいくようだった。唄い終えた父親は、酒杯を静かに傾けて酒を川に注いだ。この嫁入りの儀式が終わったら、花嫁はもう二度と実家へ帰ることはできないんだと近くにいた女性が教えてくれた。

 父親はふたりが幸せに暮らせるように、携えてきた鶏肉やもち米の供物を祖先に捧げ、川のそばで全員がそのお下がりをいただいた。

 緑深い山々と真っ青な高い空に囲まれた、小川の辺で執り行われた嫁入りの儀式は、昔ながらの風習を受け継ぐ、どこか神秘的で心温まるものだった。

 ルアンプラバンの北、およそ215キロのところにルアンナムターがある。ター川の水運で栄えた古い町だ。その郊外にある、ランテンという少数民族の人たちが住む村を訪ねた。

 竹で組まれた村の門には、立ち入り禁止を表す「タレオ」と呼ばれる星形に編んだ竹細工がぶら下がっていた。タレオは魔除けでもある。

 通りかかった村人に聞くと、村では祖先を供養し、一年の健康と幸福を祈る祭りが行われたところだった。祭りの間よそ者は村への立ち入りはできないが、今日はもう大丈夫だから入りなさいと言ってくれた。以前、この村に来た時に顔見知りになった村の長老マオさんの家を訪ねた。

 マオさんの家では、一冊の本を代々大切に受け継いできた。竹紙を和綴じにしたもので、そこにはランテンに昔から伝わる風習や、日常の暮らしに必要な占いなどが、墨を使って漢字で書いてある。マオさんは、黄色くなった薄い竹のページに息を吹き込みなたらそっとめくり、家を建てる時の占いはこれ、結婚するときの占いはこれと、ひとつひとつのページを見せてくれた。

「占って相性が悪ければ、いくら好きでも結婚はさせないよ」とマオさんは笑って言う。笑いからすると、占いは今では効力を失っているのかもしれない。それでも、朱と黒の2色使いの細かい挿絵も入っている竹紙の本は、秘密の魔法が隠されている古文書のように謎めいて見えた。

 ラオスの北部に多く住むランテンの人たちは、昔から竹紙をつくり続けてきた。だから彼らは必ず川の近くに村をつくる。川のそばには竹が自生し、紙作りには水が欠かせないからだ。竹紙には、地上に出てきたばかりの若い竹を使う。竹を切ってつぶし、石灰を竹の間に入れて水に漬け、重石をする。2~3ヶ月おいて柔らかくなった竹を取り出して水洗いした後、臼でついてペースト状にする。竹枠に綿布を張った畳一畳ぐらいの大きな型に、竹のペーストを水で薄めたものを薄くのばす。3~4時間ほど天日に干すと薄くて光沢のある美しい竹紙が出来上がる。

 マオさんの村では、祭りの間は竹紙作りをしないと言うので、2年前に行ったランテンの村を訪ねてようとさらに北の町ムアンシンへ向かった。ムアンシンから中国国境まではおよそ10キロ。そこから先はもう雲南省だ。20世紀初めまで、この一帯はラオスから独立していたシン王国の支配地で、ムアンシンに都を置いていた。そのため町は碁盤の目のように区画されていて、城壁も一部残っている。ムアンシンから車で1時間ほど山道を走った。そこから以前の記憶を頼りに道を歩いて行くと、車道からは林に隠れて見えないが、たしかにランテンノ村が隠れ里のようにそこにあった。

 村の中を流れる小川へと歩いていると、以前竹紙作りについて教えてくれた女性にばったり出会った。濃い藍染の衣装を身につけた小柄な彼女は、私を覚えていてくれたらしい。懐かしそうな笑顔で2メートルほど離れた向こう岸からこちらを見ていた。ランテンの女性の笑顔や話し方にはいつも気品が感じられる。

 川の辺りでは、三人の女性が熱心に竹紙作りをしていた。彼女の娘もそのなかにいた。ランテンの村では竹紙作りは女性の仕事だ。その技術は、母から娘へと受け継がれてきた。しかし最近は昔ほど竹紙をつくらなくなっとという。工業製品の紙のほうが人気があるからだ。竹に囲まれ、世俗から離れた桃源郷のようにお思える北ラオスの人々の暮らしも、少しずつ変わっていくだろう。彼女の娘は1ヶ月後に、他の村へ嫁ぐと言う。娘もやがて生まれてくる自分の子供に竹紙作りの技術を伝えるのだろうか。この美しい竹紙作りの技が、消えないでほしいと願ってしまう。

 ランテンの女性は必ず髪に銀の簪を挿している。天日で干し、出来上がった竹紙を枠から剥がすとき、その簪をさりげなく抜いてナイフが代わりに使う。その美しい仕草が忘れられない。


『Skyward』2003年8月号 写真・文 沙智 Photographs&Text©️Sachi