もうずいぶん前のことだけれど、初めてマレーシアを訪れたときのことが今でも記憶に残っている。露天のコーヒーショップだ。大きな樹の木陰に丸いテーブルと椅子が並んでいた。テーブルの中央にはバナナの葉の包みとラップに包まれたお菓子がいくつか置かれていた。お茶を注文し、テーブルの包みを指差すと、自由にとって食べ、食べた分だけ払うのだという。おおらかなルールに気分ものんびり。緑の木陰は涼しく、気持ちのいい時間だった。
久しぶりにマレーシアに行くことになったとき、またあんな所にいけたらいいと思った。マレーシアの友人のメールで、マレーシアにはコーヒーショプがたくさんあると知る。友人と会うときや食事やお茶にコーヒーショプを朝から夜まで利用しているという。中でもコピティアムと呼ばれるコーヒーショップがおすすめで、料理も美味しいし昔の懐かしい雰囲気があるのだ教えてくれた。
マレー鉄道 クルアン駅
ジョホールバルからマレー鉄道に乗り、最初の大きな街クルアンで降りた。駅構内にコーヒーショップがあった。天井には大きな羽の扇風機がゆっくり回っている。店の雰囲気が昔のままという感じで味がある。一人でお茶を飲んでいるインド系の若い女性、中国系の中年の女性、それをボーっと眺めている日本人の私。ホーム側の端の席では、若い母親が2歳ぐらいの子供の口に小さくちぎったパンを運んでいた。各テーブルの端には、ナシラマッというココナツ風味のご飯の包みとゆで卵がいくつか置いてある。ナシラマッの包みを開けると、バナナの葉の上にご飯と甘辛いソース、小魚が現れた。店の中は外の暑さとは別世界のように涼しく、音楽もなく静かで居心地がいい。ここは友人のいうコピティアムだろうか。
30代の店員さんにこのお店はコピティアムですかと聞いてみた。そうだといい、「この店は海南人が始めた店ですから」と付け加えた。1938年創業の店で、昔ながらの料理だけを出しているという。半熟のゆで卵やカヤというココナッツカスタードのジャムを塗ったトーストだ。このジャム、カヤは、昔、中国の海南島に停泊していたヨーロッパ船でコックをしていた海南人が、西洋のジャムを真似て作ったもので、彼らがマラッカに渡ってきて店を開きカヤが広まったという話もあるのだという。
港町 マラッカ
タンピンという駅から車でマラッカへ向かう。運転手さんは50代のインド系の男性。運転手さんにコピティアムとは何か聞いてみた。運転手さん曰く、7~80年続く古い店で、昔ながらのコーヒーとナシラマッなどの料理を出す店のことだという。「たいてい海南人がやっていて、料理もコーヒーも美味いんだ。マレー系やインド系の店とは一味違うよ」と教えてくれた。コピティアムとは、中国人がやっている古くて美味しい店のことなのだとわかった。
マラッカはかつて交易で栄えた街。アラブやヨーロッパ、インドや中国からたくさんの船が来て人が移り住んだ。川に沿ってある中国人街とマレー人の集落、インド人街がある。マラッカ海峡を見に、海沿いのモスクに行った。大きな船が一つ二つ浮かぶ静かな海だった。日が暮れて星が一つ見えた頃、街のモスクからお祈りの時を告げるアザーンが歌うように流れた。黄色い月が東から昇ると教会の鐘が街に響いた。
中国人街には2階建ての古いショップハウスが立ち並ぶ。海南チキンで有名なコピティアムに入った。丸い大理石のテーブルと背もたれのついた木の椅子が並んでいた。どこか昔の趣がある。鶏肉もコーヒーも、とても美味しかった。
店頭にお茶の木箱を何段も積んだお茶やさんがあった。中をのぞくと、30代の娘さんと20歳ぐらいの息子さんがいて、お茶を小さな包みに詰めていた。清涼感のある好い香りにつられてお茶を買う。帰り際、いいコピティアムはないか聞くと、「コピティアムは小さな店のことをいうのよ。いろいろあるけど、どこがいいかな」と息子さんの方をみる。あのデザートのコピティアムがいいと息子さんが言い、とても小さい店なのと地図を描いてくれた。店の名前を尋ねると、「だれも知らないよ」といって笑い、店の壁は緑色だと教えてくれた。
コピティアムの街 ペナン島
ペナン島ジョージタウンは、昔のたたずまいが残るところだ。早朝ホテルを出て街を歩く。空気がひんやりして気持ちがいい。ペナンに着いた日に入った精進料理を出すコーヒーショップが開いていた。この店もコピティアムだ。店頭には朝食のおかずがたくさん並んでいる。最初に見かけたおじいさんもやってきて、前と同じ外の席に座った。林さん夫婦がやっている店で、創業50年。林さんのお母さんが『亜細亜茶室』という名で開いたという。朝の料理はチャイニーズ。昼はインド料理の屋台が出るそうだ。時間や日によって屋台が入れ替わる。コピティアムは、自前の料理を出す店もあれば、飲み物だけを出して料理は間借りしている屋台が出す店もあり様々だという。
歩道で、布を広げてバティックを描いるマレー系の若い女性がいた。ロザナさんといい、バティックのデザイナーだった。私も彼女が纏っているようなスカーフがほしいと思っていたので、彼女の店で一つ買い、被り方を教えてもらった。これを纏ってモスクに行くのだ。今日はマレー系のコーヒーショプにも入ってみたいと思い、近くにあるかきいてみた。ここは中国系が多い街だからないけど、クアラルンプールならマレー系の街だからたくさんあるという。コピティアムなら、飲み物と半熟ゆで卵とトーストだけを出す古いタイプと、料理が豊富で冷房のきいた新しいタイプがあって、最近はフランチャイズでノスタルジックな内装のコピティアムが流行っているのよ、と教えてくれた。コピティアムとは古い中国人の店をいうのかと思っていたが、人によってとらえ方が違うのだろうか。
お粥の屋台が出ている古そうな店から、飲み物の入ったグラスを両手に持った男性が出てきた。飲み物の出前だ。看板もないから定かではないが、中でコーヒーを飲んでいる人がいるから多分コピティアムだ。テーブルが4つだけの小さな店だった。開いているテーブルに着いた。ほかのテーブルではおじいさんたちが飲み物を手にくつろいでいる。ここでは、時間がゆっくり流れているように感じる。くつろぐおじいさんたちの脇で私ものんびりした。
コピティアムの隣に骨董品に埋もれた不思議な自転車屋さんがあった。店主は30代のタンさん。日本の郵便局の中古自転車もあるという。タンさんにコピティアムのことをきいてみた。「新しいのも古いのもいっぱいあるよ」とタンさんが言いかけたとき「いや、コピティアムは少なくなったよ。この辺では隣の店とあと2軒だけだ」私の横から声がした。80歳ぐらいのおじいさんが立っていた。黄緑色のシャツが似合うおしゃれなおじいさんだ。「コピティアムってのは、昔からやっている店をいうんだ。昔、福建からやって来た人たちが、屋台のコーヒー売りから始めて成功し、店を持つようになった。それがコピティアムだよ」おじいさんは最近の店はコピティアムじゃないというようにいった。タンさんはちょっと慌てて、さっき自分がいった言葉を取り消し、おじいさんの言葉を私に伝えようとするように、コピティアムってのは福建語だからと続けた。おじいさんの気持ちを大切にする人なのだ。この先の2つ目の角に古いコピティアムがあるという。おじいさんが若いころから通っている店だ。「大理石の丸いテーブルがあるんだ。昔のままだよ」とタンさんは言った。店の名前をきくと、「だれも知らないよ」と二人とも笑った。
なんとなくわかってきた。コピティアムとは、元は海南人や福建人同士で使っていた言葉が、福建人や海南人の店という意味で使われるようになり、彼らのコーヒーが美味しかったことから名店とか老舗という意味が加わった。そして、店の名前も必要としないほど地域に根ざした昔からの小さな店が消えていく今、タンさんの世代に至っては、ノスタルジックな店という意味に変化し始めているようにみえる。おじいさんのコピティアムとタンさんの世代のコピティアムは違う。でも、友人と集う場所であり、くつろぎの場所であるのは変わらないように思う。マレーシアの人にはそれぞれの思いを重ねるコピティアム、コーヒーショップがあるのかもしれない。
映画館とコーヒーショップ クアラルンプール
クアラルンプールのトゥアンク・アブドゥル・ラーマン通りには、1920年に立てられたコロシアムというアールデコ様式の映画館がある。マレーシアで最初の劇場だ。今も現役で映画を上映している。その隣に同じ名前の古いコーヒーショップがあった。大きなドアを押して中へ入った。入り口に近いテーブルに、インド系の初老の男性が一人、こちらを向いてソファーに腰掛けていた。この店の主という感じで威厳を感じ、入ってもいいでしょうか?と聞くように目を合わせ微笑んで挨拶した。店の主は「よろしい。お入りなさい」というようにやさしい微笑みを返してくれたので、許可をもらったように思う。私は端の席に座りお茶を飲んでいた。裏口から中国系の男性が出てきてカウンターに入ると、店の主は立ち上がり「Hello, My Old friend」といいながらカウンターへ席を移した。
私は勘定をしにカウンターへ行った。店の主の手元に目が留まる。紙でタバコの葉を巻いているのだった。面白いので釘付けになる。それに気づいた店の主は、「私のDNAをのせて」といって紙を舐め、端を止めて巻いたタバコを指に挟んで見せてくれた。そのポーズが渋くかっこいい。この店はどれぐらい古いのかきいてみた。「私は40年以上通ってるよ。」といい、1963年からこの店にきているんだ。何でも聞きなさいといって名刺をくれた。名前はデービッドさん。「昔は毎日来てたけど、ここから10キロのところに住んでるからね、もう年だから今は月に一度だけ。このクリスに会いに来るんだ」とカウンターの中の男性に目をやった。クリスさんに、ここのオーナーですかと聞く。「オーナはこの上で寝てるよ。私はここで働いて30年だ」「おれが40年通ってるのに30年のはずがないだろ」とデービッドさんがからかう。「ここには友人に会いに来るんだ。でもずいぶん亡くなって少なくなったなぁ。壁の似顔絵は、みんなここに来てた友人たちさ」といって何かを懐かしむように笑い、またクリスさんと話しはじめた。
『Skyward』2012年5月号 写真・文 沙智 Photographs&Text©️Sachi
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