バンコクの街の書店で、バンコク市内を網羅した地図帳を買った。ぱらぱらめくって見ていると、「ラタナコーシン島」という文字に目がとまった。街の中に島?と思いながら地図をよく見てみると、大きく蛇行して流れるチャオプラヤ川と川につながるバーランプーという名の運河が円形につながり、島を形づくっていた。島の中には観光名所の王宮もある。約230年前から今の国王ラマ9世に続く王朝をラタナコーシン朝というが、昔はこの島の部分が都だったのでのだろう。
タイ王国は昔から海外との貿易で栄えてきた国だから、昔はきっと、世界中から珍しいものが集る市が立ち、国王専門の仕立て屋や、家具や調度品をつくる腕の良い職人も暮らしていたのだろうなどと想像をめぐらせる。もしかしたら、いまでもなにか古くて面白いものが見つかるかもしれないと興味がわいた。友人に電話し、古い建物が残っている場所を教えてもらう。チャイナタウンも古い街だから行くべき、対岸のグッディーヂーンはレトロスイーツで有名、バンコクの上流にあるクレット島も懐かしいバンコクが残っているから行く価値がある、郊外にはレトロ博物館もあると教えてくれた。レトロなバンコクに浸って見ようと、バンコクで昔のもの探しをしてみることにした。
ラタナコーシン島の川沿い、プラアーティット通りから運河沿いの道を歩く。運河に沿って、当時の城壁の跡がまだ残っている。通り沿いにはタイコロニアル調の古いショップハウスが続いている。ショップハウスとは道路に面した1階が店舗で2階が住居になっている長屋風のものだ。通りの店には、私が子供のころに見たような床屋専用の椅子が並ぶ床屋があったり、古い薬局や食堂がある。車の騒音と強い日差しの外のとがった空気とは違って、店の中はとろんとした柔らかい空気がただよっていているように見えた。
古びたショーウインドーの中に、海軍や陸軍の軍人がかぶるような帽子を飾った帽子屋があった。店の中に入って見ると、ショーケースには赤や黄色の房や飾りのついたいろんな帽子が並んでいる。見渡すと、棚にひとつだけ透明のケースに入って金の仏像と一緒に奉られているカーキ色の官帽子があった。店の奥は工房になっているようだった。奥から、威厳のある年配の男性が出て来た。こんにちは、と挨拶はしたが、他に話すことも思いつかないので、あの官帽子はもしかして王様のですか?と冗談を言ってみた。すると、表情もくずさず、そうです、とさらりとさらりと言う。
「うちは祖父の代からずっと王様の帽子を作っていて、私は3代目だよ」
男性は店主のポンパンさん。あれが私の祖父だと、壁にかかっている額に入ったセピア色の写真を指差した。
ラタナコーシン島には、100年程前に建てられた木造2階建てのショップハウスが残っている。今も商店として使われているが、その中に小さなホテルもあった。アンティーク好きの女性チットラダーさんが建物を修復し、アンティークのインテリアを配した趣のあるホテルだ。そのすぐ近くに、もうひとつ興味深いものを見つけた。『ウーウィチャイェン』という自動車の修理工場だ。店の前に数台、クラッシックカーが置いてある。工場の入り口で男性が二人、椅子に腰掛けて話をしていた。店主のウーウィチャイェンさんと、職人のスッジャイさんだ。私が日本人だと知ると、ウーウィチャイエンさんは、この前日本に行って来たよ、と気さくに話しだした。工場の中にもクラッシックカーが数台ある。一番奥の車は、ウーウィチャイェンさんのお父さんが乗っていたという90年前のメルセデスベンツ。そのとなりにあるのが70年前のオースティン。「このベンツは、タイではここにある一台だけ。これは昔の車だから、クランクを回してエンジンをかけるんだ。2002年のラマ8世橋の開通式では、この車が最初に橋を渡ったんだよ」と楽しそうに話す。
「うちは職人の腕がいいからね。どんな車でもよみがえるよ。ついこの前も、スイスからの注文を仕上げて送ったばかりだよ。」
車の修理工場は、創業70年。ウィチャイェンさんは2代目で息子が3代目を継ぐという。
チャイナタウンの表通りは金行が多いが、一歩小道に入ると、雑貨屋、お茶屋、お菓子屋など趣のある老舗に出会う。路地を入ると、店頭にソーセージを何本もつるした店があった。グンチエンと呼ばれるソーセージの店だ。店の奥にはソーセージを燻す墨火の燻製室があり、ご主人のタッサポンさんが墨をくべて火加減を調節していた。肉の状態によって、3~4日間燻すのだそうだ。
「もう、炭火を使ってつくるのは、私の店ぐらいだね。みんな機械になっちゃったから。うちのは防腐剤も保存剤も入ってない、昔ながらの製法でつくっている本物のグンチェンだよ」とタッサポンさん。お父さんの代から始めたこの店は、創業53年。3代目になる息子さんもお母さんのワラパーさんと一緒にグンチエン作りをしていた。
チャイナタウン周辺にはなぜか、スクーターのべスパが多い。ソーセージの店から割りと近いところに、『ジョー・ボリガーン』というビンテージべスパの修理販売で知られる店がある。18歳からべスパの店を経営しているジュワさんが店主。なぜ、べスパがたくさん走っているのかきいてみた。サンペーンという問屋街があって、そこは道がとても細く車は通れない。そこでたくさん荷物が運べるべスパが便利なのだそうだ。一軒の店でだいたい8台ぐらいは持っているという。問屋は少なくとも5000件ぐらいはあるから、この辺だけで4万台以上のべスパが走っているということだ。べスパは丈夫で重い荷物が運べる。エンジンは40年でも60年でも使えるし、部品もあるから長く使えるのだそうだ。「年代ものが手に入るのはもうタイぐらいじゃないかな。最近、バンコクに駐在しているべスパ好きの日本人も買ったよ。」と店先にある白いべスパを指差した。
ラタナコーシン島を取り囲む運河の河口、パーククロンタラーの対岸に、サンタクルスという教会が建っている。その教会を囲む集落が、友人が教えてくれたレトロスイーツのあるグッディーヂーンだ。ラタナコーシン島から渡し舟で教会の前へ渡る。教会を抜け路地を入ったところに、「カノムファラン・グディーヂーン」という看板を掲げたお菓子工房があった。工房の中には大きな円柱の窯がいくつも置かれている。窯は上から鉄板で蓋をされ、トレイの上に赤く焼けた炭が載せられていた。お菓子を焼くオーブンだ。お菓子はカノムファランというケーキ。工房のパジョンラックさんが、お菓子のことを説明してくれた。この辺は、1769年からポルトガル人が住むようになったそうで、そのころポルトガル人がつくったお菓子がカノムファランと呼ばれ今に続いているのだという。一袋買って食べてみた。口の中に入れるとスポンジがふわっと溶ける。子供のころに食べたボーロに似ていた。
チャオプラヤー川沿いは、洋風の古い建物が多い。東インド会社の建物、オリエンタルホテル、消防署、タイで最初の銀行、それに古い木造の民家やモスクや寺もあって、船から眺めるだけでも楽しめる。
バンコクより上流にグレット島がある。島には、昔のバンコクの風景が残っているというので、バンコクから観光に訪れる人が多い。島の人たちは土産物やお菓子の店、カフェやレストランなどを開いている。
その中に、40年ぐらい前の若者の部屋を再現したような、レトロな雰囲気のタイ麺の店があった。店の入り口近くに、古いバイクが置いてある。バイクは店主のノイさんのもので、ドイツ製。
「レトロなものが好きで、いろいろ集めてるんです。このバイクは40年前のバイクだけど、まだ普通に走れます。なかなか手に入らないレアなバイクです」とノイさん。店の中には、古い看板や写真が壁にかかっている。戸棚の上には、彼のお母さんが使っていたという家具調の古くて大きなラジオが置かれ、パソコンとつながってジャズを流していた。
グレット島は、今ではあまり見かけなくなった懐かしいお菓子を売っている島としても知られている。王冠をかたどったジャーモンクックというお菓子、昔の製法で時間をかけてつくったココナッツアイスクリーム、椰子砂糖の蒸しケーキ・・・。路地を歩いていると小さなクレープ菓子、カノムブアンの屋台に出会った。屋台の女性がお菓子を焼いているところだった。鉄板に生地を丸く伸ばして焼きクリームと卵素麺を載せてくるっと半分に返す。人が何かをつくっているのを見るのは面白い。飽きずに見入ってしまう。今度は小学生の女の子が、お母さんから教わって生地を焼く練習を始めた。難しい?と聞いてみると、難しいよ、と言ってため息を吐きながら、生地を薄く延ばすのに奮闘していた。
古い街を巡っているうちに、昔のバンコクの地図を見てみたくなった。川沿いにアジアの古地図を売っている店があったのを思い出し行ってみた。店は「OLD MAPS &PRINTS」。バンコクの古い地図を探してるというと、店の男性は、残念ながらバンコクの古地図はないが、1927年発行のバンコクのガイドブックに地図が付いているのでそれを見せてあげましょうといい、本を出して見せてくれた。男性は店主のヨークさん。巻末に折りたたまって付いている薄い地図をそーっと開いて見せてくれた。ヨークさんは、20年前に店を始めたという。店内の大きなテーブルに地図が広げられていた。
「この地図はさっき届いたばかりで、今見ていたのだけど、これ、見てください。これは東インド会社が使っていた地図ですが、使っていた人が、自分の航路を地図に書き込んでいるんです。」
見ると、薄く引かれた線と日付が記されていた。誰が書いたのかわからないが、この地図から、はるか昔にこの線の場所を通って海を旅していた人がいるのがわかる。すごい!すごい!とヨークさんと二人で興奮した。
この地図が何人の手を経てヨークさんの元へ届いたのかはわからない。物は、人の手を渡り、愛着を持たれ、また次の人の手に渡る。そうやって時代を超えて物は続いているのだと気が付く。ジウさんが扱うべスパも、ノイさんがお母さんからもらったラジオも、別な時代の中で、別な場所で、別な人生を生きているようだ。
『Skyward』2011年2月号掲載 写真・文 沙智 Photgraphs&Text ©️ Sachi
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