ヤンゴンの南をゆったりと流れる大河ヤンゴン川。通勤客を乗せた渡しのフェリーが静かに行き来し、水平線になって広がる下流には、朝日を浴びた外国航路の大型船が小さく光っていた。この川を介してインド洋と繋がるヤンゴンは、昔も今もポーとシティーだ。フェリーポート付近は港湾局、ストランド・ホテル、税関など古いイギリス建築が立ち並び、その前をロンヂー姿の人が颯爽とと歩く。レンガ造りの古い建物をバックに、小さな 日傘を差したほっそりした女性が、しなやかに通りを渡ってこちらにやってきた。日傘と、清楚な白いレースのブラウスに腰布のロンジー。ミャンマーのクラッシックな装いに思え素敵だなと見とれてしまう。人々の装いと街のクラッシックな建築が調和するからか、他の東南アジアのとしとは空気が違う。落ち着きのある都市に思えた。

ひまわりの花の判子

 港に近いダウンタウンには問屋街が広がる。規則的に区画された街は、宝石店 が並ぶ通りやステンレスや工具を商う店の通りなど業種に分かれていて、露天の喫茶店や屋台、市場の通りもあって活気がある。スーレー・パゴダの北の細い通りに入ると、淡いピンクのウェディングカードの見本を店先に吊るした印刷屋さんが軒を連ねていた。手作業でカー ドに一枚ずつ金色の箔押しをしている店もあり興味深い。通りの終わりあたりには判子屋さんがかたまってあった。ここで自分のスタンプを作ってもらおうと 思いつく。店頭で談笑している丸眼鏡をかけたおじさんの店に入った。ミャンマー語の文字はコロコロしてかわいいので、名前をミャンマー文字で入れてもらう ことにした。おじさんはここで店を始めて35年になるという。「私はデザイナー、コチー」と威厳に満ちた顔で言った後、照れたようにフフッと笑った。デザインするなんてすごい。思わず、ロゴもデザイ ンして入れてくださいと頼む。んー、と私の顔を数秒眺め、ひまわりの花はどう?とすすっと描いて見せてくれた。絵がうまい。なんだか楽しげなひまわりだ。ロゴ入りスタンプを注文し、ちょっとうきうきして店を後にした。

 街の中は喫茶店が多いから、一休みするのには困らないし、そこで地元の料理や甘いものを食べるのは街歩きの楽しい。チャイナタウンで、大きな店構えの喫茶店に入った。店頭には、七輪の上に載った引き出し式の蒸し器がすえつけてある。店の人は、注文を受けるとすばやく引き出しを開け閉めして中の肉まんを取り出す。私は、店先のテーブルでミルクティーを飲み、肉まんを頬張った。肉まんは大きくてとても美味しい。

「こんにちは。日本からいらしたの?」と客のおじいさんがきれいな日本語で話しかけてきた。優しくて気のよさそうなおじいさんだ。もしかしたら、普段話す機会のない日本語を話したいのかもしれないと思い、どうぞこちらにと椅子に掛けてもらった。私も地元のおじいさんと話せる機会はめったいにないからうれしい。おじいさんはヤンゴン生まれで、お父さんの代に中国からヤンゴンにやってきたのだそうだ。「今日は中国の正月だから、この服を着てるんです」と言った。そういえば、おじいさんはえんじ色のチャイナ服で、竜がたくさん刺繍されているのを着ていた。大柄のおじいさんによく似合っていた。

白いレースのブラウス

 夕方のスーレーパゴダ通り。街路樹の木陰で占いをしている人たちが何人もいた。興味を持った瞬間、いらっしゃいと英語を話す占い師に手招きされるまま、私はその男性の前に座った。生年月日と曜日を伝え、手相をみてもらう。今の私の手には、七曜星すべての天使がいる。だから今年から3年間はとても良い年でお金もたくさん儲かるそうだ。結婚もこの3年間にすると幸せになる。でも、だんだん天使は旅立っていくので、それ以降は運気が落ちてだという。「心配しないで大丈夫。3年後も運が悪くならないようにこれをあげます」と、鞄の中から呪文が書かれた紙で包んだろうそくを取り出し、私の手の上においた。占い師は、ろうそくを私の手の上で転がしながら呪文を唱えた。

「明日の午前中、これを持ってシュエダゴン・パゴダに行きなさい」と教えてくれた。

 翌朝、ろうそくを大事に持ってシュエダゴンパゴダに行く。細やかな装飾が施された金のパゴダは、強い日差しの中で涼しげな光を放っていた。占い師から教えられた通りに礼拝を済ませ、ほっとする。日陰に座って、境内を歩く人々をぼーっと眺めていた。若いカップルが目に付く。ここがお寺だからか、みんなきちんとした装いだ。ブラウスにロンヂーというスタイルは変わらないが、それぞれデザインが違うことに気づく。私の隣に座っている女性の服も、刺繍が施されていたりして凝っている。とても素敵なので、どこで買うのか聞いて見た。すると家の近くで仕立てたのだという。デザインは誰がしたの?と聞くと「マイ・テイラーです」と答えた。行きつけの仕立て屋さんなのだ。その後、何人かの女性にも聞いてみたが、みんな近所の「マイ・テイラー」だと言う。、マイ・テイラーがいるなんてすごい! 服を仕立てるのも普通のことらしい。どのテイラーも、それぞれの個性に合わせてデザインしている。それでみんなよく似合っているのだ。マイ・テイラーという響きには、自分を美しくしてくれるテイラーを誇る気持ちも感じられる。若いカップルはデートでシュエダゴン・パゴダに来ているのだそうだ。若者がきちんとした装いでデートというのも素敵だし、行く場所がお寺というのも粋だ。しかも着ている服はマイ・テイラーが仕立てたもの。あー、ヤンゴンの若い人の生活はなんておしゃれなんだろう。

 昼食後、ボージョーアウンサン・マーケットへ行く。私も、街で見た女性のような白いレースのブラウスをつくってもらいたいと思ったのだ。生地を買い、年配の女性の仕立て屋さんでデザインを決めて注文した。それともうひとつ。みんなの背中には目障りなブラジャーの横線がない。きっと下着もあつらえているのだと思い、下着屋さんで下着も注文した。にこやかなお姉さんが、私の左の胸のふくらみを軽く触って大きさを確かめつつ、メジャーを斜め下に延ばして手際よく寸法を測った。出来上がりが待ち遠しい。

 マーケットの中を歩いていたら、金糸の刺繍を施した伝統的な衣装がずらりと飾ってある店に突き当たった。店の片側にはミシンが5台並び、手前ではオーガンジーの生地に小さな宝石を付ける細かい作業をしている人がいた。もしかして花嫁衣装ではないかと思い、そのなかの店主らしき人にきいてみるとそうだという。店主でデザイナーのコミュソさんだ。ここに店を開いて30年になる。コミュソさんは仕事の手を休め、親切にも奥から衣装を出して見せてくれた。これを胸に着け、これは下に穿いて、その上にこのオーガンジーの上着を羽織りショールを掛けて、と自身の体にあてがい説明してくれた。どれも上品で美しいデザインだった。帰り際、ふと思いだした。20代の頃、友達6人で花嫁衣装は和装と洋装どちらが似合うか想像し合った時のことを。みんな口をそろえて私に言ったのだ。「おかしい!どちっも着てる姿が想像できない」ま、そんなもんだろうとは思ったが、今はっきりわかった。みんなが想像できるはずがない。私が着るのはミャンマーのこの衣装だったのだ。そうだ、これだと納得した。3年以内にまた来て、ここで衣装をつくることに決めた。

静寂の世界

 帰国の前日、注文したものを受け取りに行った。ブラウスも下着も体にぴったり。判子も約束どおり出来上がっていた。ミャンマー語を話せない私の心もとない注文に、きっちり応えてくれて素晴らしい。マイ・テーラーのブラウスに着替え、夕食に出かけた。

 夕食後、夜のシュエダゴン・パゴダに行く。境内には、地元の人だけがいるようだった。大理石の床に横座りし、花を掲げて祈っている人。パゴダを前にくつろぐ家族。数珠を手に瞑想している人々。大きな白い仏像が見下ろすその下で、体を寄せて話し込む恋人たち。音もなく輝く黄金のパゴダ。ここにはくつろぐ人たちによってつくられる静寂の世界があった。

 大理石の床に座り、光るパゴダと暗い空をぼんやり眺めた。パゴダの上の方にある風鈴のような金の飾りが、チンとなったように思う。目を下に落とすと、離れたところに座っている若い夫婦の間から、赤ちゃんがハイハイして出てきたのが見えた。家の中の風景を見たようで微笑ましく思った。

『Scapes』2013年創刊号 写真・文 沙智 Photographs&Text©️Sachi