さまざまなタイの料理を楽しめる食の街

バンコクを高いところから見たくなって、シーロムにある「State Tower」に行った。このビルの最上階63階にあるバーからは、チャオプラヤ川といっしょにバンコクが一望できる。夕方ここで景色を楽しみながらお酒を飲み、今夜はどこで何を食べようかと下界を見下ろす。高層ビルが林立し、その間を高速道路がチャオプラヤ川の支流のように這うバンコク。それらのビルの中には洗練されたレストランやカフェが、路地には味を競い合うたくさんの屋台がある。近代的な風景と懐かしい風景が混在する街だ。地方から人の集まる都市だから、様々なタイの料理を楽しめる食の街でもある。

 20代の頃、バンコクにある写真学校に留学していたことがある。毎日市内を歩き回り、写真を撮っては学校の暗室にこもって作品作りをしていた。そんな私を見て先生たちは、留学生なのに熱心だ、それに比べてタイ人の学生はなんとやる気のないことかと言い、ある先生がこんな話をしたのを思い出す。

「日本人はものをつくろうと研究して努力するね。でもタイ人は努力するのは苦手。それは昔から食べることに困らなかったことがないからじゃないかって思うのよね。何もしなくても米は育つし、野菜も果物も魚も食べるものはどこにでもある。ラーマカムヘーン王の碑文にもあるけど、『田には米が実り魚が泳いでいる。こんなに豊かな国はほかにあるだろうか』って。ほんとそのとおりなのよ」

 ラーマカムヘーンは13世紀のタイの王で、この一節がタイの暮らしの豊かさを象徴している。

 食べ物に不自由しない人たちの食の豊かさとは、料理のどんなところに現れるのだろうか。古都が点在する北タイ、先史時代からの歴史を持つ東北タイに行ったら、その一端に触れることができるかもしれない。今夜は、東北タイの料理を食べながら、旅の計画を考えることにした。

北タイの古都へ

 ラオスとの国境に近い北タイの古都チェンライ。飛行機の窓から見下ろすと、小さな正方形の水田がたくさん並んで見える。田んぼの脇には椰子の樹、ところどころに小さな山がぽつん、ぽつんと浮かぶようにある。のどかで美しい田園風景だ。このあたりは昔、ラーンナーと呼ばれていた。ラーンナーとは100万の水田を意味する。

 車をチャーターし、田園地帯を走る。道路の両脇は見渡すかぎり水田が広がっている。大勢で田植えをしている田んぼを遠くに見つけ、車を降りた。濡れたあぜ道を滑らないようにゆっくり進む。みんなひざ上のゴム長靴を履き、男性はTシャツに麦藁帽子、女性たちは日焼けを防ぐために完全防備。近づいていく私を見つけた男性が「日本人が来たぞー」とみんなに声をかけた。「なんで日本人ってわかるのー」と聞くと、みんな笑っている。植えているのはもち米かと聞くと、「もち米だよ」とさっきの男性が言った。北タイは主食がもち米だから、作っているのは7割がもち米だそうだ。昔は米を何種類も育てていたけど、最近は少なくなったという。このあたりで採れるもち米やうるち米は合わせて30種類ぐらいあり、それぞれ色も形も違うのだそうだ。

 ちょうど昼になり、田んぼの脇にある高床式のあずまやに上がって宴会が始まった。男性は用意していた豚肉を炭火で焼く。女性が臼に野菜やニンニク、唐辛子を入れて和物をつくる。酒を飲みながら調理ものんびり。あずまやの中は風通しのいい心地よい空間。お酒をすすめられて飲んでみた。ラオパーという地酒の焼酎だ。とても強い。もち米からつくった酒で、麹にレモングラスや唐辛子などのハーブを入れてつくる。

 炭火焼の豚肉やモツをすすめられ、つまんで食べた。塩味で美味しい。キュウリの和え物もさっぱりして美味しい。味付けは塩。塩が北タイの基本調味料だ。年配の男性が空の水タンクを膝に抱えて太鼓のように叩き始めた。これから盛り上がりそうだ。田植えっていい。こんなに楽しく仕事ができるなんて最高だとうらやましく思った。

 私も街に戻って昼食をとることにする。「滑るなよー」という声を背に、またあぜ道を歩いて車に戻った。運転手のポーさんは車を木陰に寄せて待っていてくれた。あずまやで酒を飲み、料理もちょっと食べて美味しかったと伝えると、郷土料理の美味しい店に連れて行ってくれるという。生の水牛の肉の和え物、水牛の血を使った和え物がおすすめだそうだ。酒の肴にいい料理がいろいろあるから夕方行きましょうという。私を酒飲みと思ったのだろうか。

 夕方、ポーさんが連れて行ってくれた料理店は、地元の人に人気の食堂だった。40年続いているという。店先では、肉や腸詰を焼きながら売っている。夕食時なので、買いに来る客でにぎわっていた。

 ポーさんが頼んでくれた料理が次々と出てきた。肉とハーブの煮込み。腸詰は豚肉入りのものとご飯が詰まったものがあり、どちらも美味しい。水牛の血が入ったルーと呼ばれる料理は、女性にも人気なのだそうだ。レモングラスなどのハーブを細かく叩きつぶしたものが入っていてすばらしくいい香りがする。幾種類ものハーブで和えた水牛のなま肉は、苦味があって酒の肴にいけそうだった。味見をした後は、火を通してもらって食べた。今度は苦味が消えて美味しい。

 ポーさんは手でもち米を小さく丸め、そのもち米と一緒に和え物をつまんで食べている。私も真似して手で食べた。もち米がすすむおかずだ。

 それにしても手で食べるのは楽しい。話しながら手でもち米を捏ねて丸め、話の合間におかずと一緒に口に入れる。添えられたハーブや野菜を摘んで口に入れる。腸詰め、野菜を摘んで食べる。もち米に和え物をつけて食べる。だんだん食べることに没頭してくる。

「もち米は食べ過ぎないようにね。食べなれない人は消化が遅いですから」ポーさんが言った。

チェンライは13世紀ラーンナー王朝の都だった。街の中には当時の城壁が残っている。都だった名残か、街も村も手入れが行き届いていて美しくしっとりたした風情がある。運転手のポーさんをはじめ、会う人もどこか物静かに感じるのは土地柄だろうか。

イサーンの家庭料理

 東北タイは昔からイサーンとよばれている。イサーンとは、ヒンドゥーの神の名前からきているといわれる。3000年ほど前の青銅器や土器が出土する歴史の古い土地だ。イサーンの人も東北タイのチェンライと同じでもち米を主食としている。

 イサーンの家庭料理を食べに、イサーン最大の県ウドンタニの農家、リアプさんを訪ねた。家に着くと、リアプさんは外で七輪の炭に火を入れているところだった。調理場は家の西側のバルコニー。ここで肉や魚を焼いたり、もち米を蒸したり、煮物をつくったりする。家の中にも台所があり、ガスコンロもあるが、たいてい外の調理場を使っているという。

 小学5年生になる甥のジャックが、自転車に乗ってやってきた。自転車のハンドルに袋がぶら下がっている。市場までお使いを頼まれて戻ってきたのだ。リアプさんは鯰を袋から出して竹で編んだ器に入れた。小ぶりの鯰が3、4匹跳ねて動く。手際よくさばいてわたを取り、丁寧に洗った。

「今日は鯰の和え物をつくるから」と言い、鯰をあみに挟んで炭火に置いた。焼きた鯰は骨を取って身をほぐし、パクチーなどのハーブ、もち米を炒ってつぶしたものと和える。手の込んだ料理だ。味付けには、パラーデークという魚の塩漬けの汁を使う。このパラーデークがイサーンの基本調味料。リアプさんは、「ホーム(いい香りだよ)」と私にパラーデークの入ったビンを差し出した。塩気のある美味しい旨味の匂いがした。パラーデークはイサーンの塩を使っているから美味しいのよという。イサーンは岩塩層の地質のため、昔から塩が採れるのだ。

 リアプさんは庭の方へ行き、しゃがんで何かを採っている。レモングラスだった。「イサーンの野菜はどれも薬草みたいなもんよ。だから料理は全部薬膳」リアプさんは水瓶から水を汲んでレモングラスを洗う。「美味しい料理は。ゆっくりつくらないとね。早くつくると辛いだけで美味しくないから」切り株のような厚いまな板の上でレモングラスを切った。

 ジャックが田んぼに行かないかと私を誘う。田んぼは村から離れたところにある。自転車で行くのだ。小学校5年生の自転車の後ろに乗るなんてかっこ悪いが仕方がない。ジャックの後ろにまたがり出発した。大きな道路から細い赤土の道へ入る。人も家も見えない畑の中のでこぼこした道をどこまでも行くと、青々とした田んぼに出た。

「僕んちの田んぼだよ。あれは田んぼの家」とジャックがあぜ道の奥にある高床式の小さな家を指した。自転車を降りて、あぜ道を歩き家の方へ行く。

「田んぼは風が気持ちいいんだ。田んぼには魚もいるし、川もすぐそこだし、ここで遊ぶのが大好き。稲刈りとか忙しい時はここに泊まるんだよ」

 ジャックは最高の場所に私を連れてきてくれたんだなと思う。彼の後に続いてあぜ道を行くと川に出た。女の子たちが服のまま川に飛び込んで遊んでいた。

「ジャックもおいでよ!」

 女の子たちが誘う。あとで来るよと言って、私たちは家に戻った。

 リアぷさんの家の南側のバルコニーには赤いゴザが敷かれ、その上に料理が並んでいた。3軒となりに住むリアぷさんの妹も、料理と採ったばかりの野菜を持って昼食に加わった。イサーンの料理には必ずたくさんの野菜が添えられる。バジルやミント、大きな莢に入った豆、からし菜、蓮の茎など。料理と一緒に野菜独特の酸味、苦みや辛みを楽しむのだ。リアプさんの妹は、まだ臼に入っている未熟のバナナとナスの和物を味見して、甘味が足りないと言ってはスターフルーツを加え、もっと酸っぱくと言ってはタマリンドの汁を加えて好みの味にした。味付けに調味料を使わないことに驚く。青いバナナもスターフルーツも野菜として食べる。渋みのあるナスと青いバナナを甘辛酸っぱく和える料理だ。ござの上には、鯰の和物、魚と山菜の煮物、筍の和え物。バナナの和え物。野菜。もち米。バンコクで食べるイサーン料理のように尖った辛さがない。味付けも程よく上品だ。

 リアプさんは、ミントの葉を摘んで鯰の和え物と一緒に食べている。筍の和え物にはからし菜が合うのよと言って、からし菜の葉を幾重にも折って小さくして口に入れた。

野菜の味

 そういえば、イサーンも北タイのチェンライも和え物料理が多い。私には「和える」としか表現できないが、タム、スプ、ラープ、サーという全て違う料理方なのだ。湯がいて和えたり、生のまま臼で叩き和えたり、湯がいてから叩き和えたり。イサーンや北タイにはいろんな野菜があるから、野菜の組み合わせも調理法も多いのだという。苦い野菜、辛い野菜、甘い野菜、酸っぱい野菜。単に酸っぱいと言っても、苦みのある酸味、甘味のある酸味など味はいろいろ。その時々で使い分けるのだと教えてくれた。いろんな野菜の味を日常味わっている彼女たちは、話私よりもずっと敏感に味を使い分けているに違いない。

 酸っぱくて辛くて甘いと表現されることの多いタイ料理。彼女たちの話を聞いていると、本当のタイ料理とは調味料で味をつけるのではなく、辛くて酸っぱいタイ料理の味をさまざまな野菜の組み合わせで作り出す料理だったのだと感じる。

 リアプさんの妹がバナナの和え物に調味料を使わずに味付けするシーンが、とても印象的だった。身近な野菜の種類が豊富だからこそ生まれた調理法だ。素材の数だけ味の引き出しがある。料理に現れるタイの食の豊かさ、その一端に触れたように思った。

 チェンライやイサーンの市場で見た食材の味をもっと知りたくなってきた。

『Skyward』2008年11月号 写真・文 沙智 Photographs&Text©️Sachi