『Skyward』2019年12月号掲載 写真・文 沙智
広いリビングルームに置かれた大きなテーブルに、ビュッフェの料理を盛った大皿がいくつも並んでいる。その端には、パーティーを盛り上げるフィリピンのナショナルフード、豚の丸焼き・レチョンがバナナの葉の上にのってある。琥珀色に照り輝くレチョンの前で、洒落たアロハシャツを着た大柄の男性キングさんが、右手に中華包丁を左手に柳刃のような長いナイフを構え、どこから切ろうか迷っている。弱火でじっくり一日かけて焼いたレチョンの皮は、透明感があって薄氷のよう。パリッとしたその皮の中にはジューシーな肉が詰まっているのだ。

テーブルの周りで同僚たちが、料理をのせた取り皿を手に、なかなか包丁の刃を入れないキングさんを微笑ましく眺め、話を弾ませている。今日は会社のオーナーの家で開かれたホームパーティー。社員のキングさんが転勤でしばらくマニラを離れるため集まったのだ。しばらく会えなくなる人の、好きな料理を作り、みんなで食べて楽しむ「デスペディーダ」の集いだ。キングさんらは、オーナーの奥さんや娘さんとも洒落たジョークを交えて会話を楽しみ寛いでいる。
フィリピンの人はパーティー好き。誕生日や記念日、卒業や就職など何かあるごとにパーティーを催す。みんな誘い誘われるから、しょっちゅうパーティーがあるのだそうだ。フィリピンでは、パーティーのことを「サルサロ」という。サルサロは「いっしょに食べる」という意味だから、みんなで食べて楽しむパーティーもサルサロ。普段の生活からちょっと離れて、踊ったり歌ったり、ゲームをしたり、年齢も肩書きも超えてみんなで楽しむサルサロは、フィリピンの人にとってリフレッシュできる元気の源でもある。

フィリピンの人たちは、たいてい兄弟やいとこがたくさんいるから、毎月のように誰かの誕生日や記念日でパーティーがあるという。クリスマスは両親や祖父母の家に集まるが、独立した兄弟姉妹が家族連れで集まるから何十人もの大ホームパーティーになる。オーナーの娘クリスティーンさんも、クリスマスの日は、兄弟たちと親の家でサルサロになる。みんなでわいわいランチを食べているといつのまにかおやつの時間「メリエンダ」。メリエンダのおやつをいろいろつまみながらおしゃべりしてずーっと食べ続けることになるのよ、という。
サルサロの料理は、主催者の家で家族みんなで作ることが多いが、ゲストがデザートや料理を持ってくることもあるから、食べきれないほどの料理がビュッフェのテーブルに並ぶ。余った料理はみんなで持ち帰るのだそうだ。こういうパーティーが毎日、フィリピンじゅうのあちこちで開かれているから、ケータリングも発達している。
誰かがピアノを弾き始めた。人気恋愛ドラマのオープニングのテーマ曲だそうだ。そのピアノにあわせて、女性社員ノヴェンさんがちゃめっ気たっぷりにドラマのナレーションを入れる。うま過ぎるナレーションに、みんなぷふっと噴き出すのだった。
人生の節目に行われるパーティーの料理は、思い出といっしょに記憶に残ることが多いらしい。そんな思い出のフィリピン各地の料理を集めたご夫婦がいる。奥さんのアミー・ベサさんと夫でシェフのロミー・ドロタンさん。フィリピン料理レストラン「パープル・ヤム」のオーナーだ。戦後生まれで20代初めにフィリピンを離れ、アメリカで30年間レストランを経営していた。アメリカで暮らしていた当時、二人は自分たちが故郷で食べていたフィリピン料理の成り立ちに興味を抱くようになり、レシピを集めて食材の知識や調理法を料理遺産として保存したいとリサーチを始めた。アメリカに住む同世代のフィリピン人の友人や知人たちを訪ね、子どもの頃の食べ物の記憶や懐かしい料理に何があるか、その料理を再現できる人はいるか、それを今でも作って食べているか、その料理のどこがフィリピン特有でどこが海外から伝わったものかなど、聞き取りをした。彼らの料理の記憶は当時の暮らしや出来事とつながり、とめどなく出てくるのだった。各家庭には親から子へと代々伝わる独特なレシピがある。レシピ収集に始まった二人のリサーチは、料理を通してそれぞれの家族の歴史をも辿る旅になっていった。二人は、フィリピンの食文化を象徴するパープル・ヤム(紫色のヤム芋・ウベ)を店の名前にして、ニューヨークのブルックリンにフィリピン料理の店を開く。その後も、二人のフィリピン料理をめぐるノスタルジックな旅は続き、やがて故郷へ戻ることを決意するのだった。
二人が集めたフィリピン料理の遺産は、現在マニラ市マラテ地区のパープル・ヤムでシェフを務める28歳のラファエル・クリストバルさんのチームに受け継がれ、フィリピン各地の伝統食材と料理法を用いて、新たな料理が日々生み出されている。
サーモンピンクが美しい程よい酸味のムール貝のスープ、フィリピンの柑橘ダランダンの黄色いソースと白身魚のコンフィ、コーンや紫米などが宝石のように輝く穀類ライス。翡翠のように深いグリーンのソースをかけたローストチキン……。フィリピン料理の食材は、まるで世界中から集まったように豊富で多彩。調理法もさまざま。ハーブや野菜や果物は、メインの食材にも調味料にもなる。食材固有の甘味や酸味や苦味を繊細に組み合わせて一つの料理を創り出す。どの料理も素晴らしく美味しく、色鮮やかで美しい。

本格的なクリスマスシーズンになる11月、パープル・ヤムでは自家製のポークハムがメニューに加わる。豚肉は、ラファエルさんの友人が経営するミンダナオ島ブキドノンのファームで育った豚。広いファームで放し飼いにされていて、餌は与えられず、自生の食物を自力で探し、それを食べて育つのだという。鶏肉も放し飼いで育った地鶏を使う。ファームには3カ月に一度行くが、大地の上で育つ豚を見るのはエキサイティングですよ、とラファエルさんは楽しそうに話す。

近年マニラ首都圏には、こうしたテーマ性を持った食楽スポットがあちこちに出現している。サンファン市の閑静な住宅街には、女性のための癒やしの空間とコンフォートフードをコンセプトにしたカフェがある。「フロッサム・キッチン+カフェ」を経営するのは、20代の3人の女性。大手食品メーカーで食品開発の仕事をしていたジェシカさんが料理を、ベトリナさんはスイーツ、ジャンナさんはマーケティングを担当している。以前、仕事で海外に行く機会が多かった彼女たちは、世界各地で味わった料理を融合して新しい料理やスイーツを作ったという。人気のメニューは、日本のシメジを使ったフリッターのガーリックアイオリディップや、子どもの頃のおやつだった、とびこをのせたクロワッサンの卵サラダサンド。フィリピン特産のウベとマンゴーを使ったユニークなデザートもいろいろ揃っている。
昔からお菓子によく使われるウベは、米粉の蒸しケーキの色づけにもなる。フィリピンには米から作るケーキがいろいろあるが、素焼きのポットで焼いたビビンカもその一つ。朝食としても食べられるおやつで、クリスマスのお菓子でもある。チーズ入りなど、店それぞれに工夫があってひと味違う。
高層ビルの立ち並ぶマカティ市付近には、創作料理で有名なオーナーシェフの店が点在する。イギリス出身のシェフ、ジョシュ・ボートウッドさんの店「ヘルム」は、調理の様子を見ながら料理を味わえるダイニングシアター。14種類の料理がコースになっていて、4カ月ごとにメニューが変わる。厨房を囲むカウンター席で、季節ごとに趣向を凝らした料理のアートパフォーマンスが楽しめる。

料理界で注目されているマニラ出身のジョーディ・ナバラさんは、創作料理レストラン「トーヨー・イータリー」のオーナーシェフ。食を通してフィリピンの文化を再発見するのが料理人としての使命だという。照明を抑えたテーブルからは、厨房で調理する料理人たちが、スクリーンに映し出された映画か、スポットライトを浴びた舞台役者のように浮かび上がって見える。コースは、前菜からメイン、デザートまで、世界の料理とからめ、フィリピン料理の成り立ちを連想させる面白い料理が登場する。和食の焼き魚定食を思わせるレイアウトでセビーチェみたいな魚料理が出てきたり、フィリピンのカボチャのシチューが、南米のペルー料理チュペ・デ・カマロネス(カボチャやご飯などを煮込んだ海老のミルクシチュー)風になって出てきたり、作り手が楽しんで創作しているのが伝わってきて、食べるほうも楽しい。

昔からの交易で、東南アジア、中国、インド、中東、南米、ヨーロッパなど、世界の食材や調理法が行き来したフィリピンは、いつの時代もユニークで美味しい料理をたくさん生み出してきた。食べることを楽しみ、遊び心旺盛なフィリピンの人たちは、今も洗練された素敵な料理を生み出し、暮らしを彩っている。
コメントは受け付けていません。