『Skyward』2021年10月号掲載 写真・文 沙智

 仕事が一段落した午後、友人のノイ姉さんに頼まれた書類を持って、久しぶりに彼女の経営する会社のオフィスに行った。彼女は同僚のターさんと、奥のソファでお菓子をつまんで休憩していた。お菓子は地方に行ったお土産だそうで、最近バンコクでは見られなくなった懐かしいものだという。わたしは着いて早々、誘われるままに遠慮なくお菓子を口に入れる。バナナの葉に包まれた黒い小さな飴餅は、柔らかくてほのかに甘くおいしくて後をひく。

アシスタントの女性メムさんが、オフィスの近くで買ってきたスナックをお皿に盛って持ってきた。甘しょっぱい豚肉餡をタピオカで包んだ蒸し団子だ。カリカリの揚げニンニク、レタスとパクチー、唐辛子が添えてある。「最近、プンちゃんが、お洒落できれいになったのよ」とノイ姉さんが小声で言う。ターさんは眉をぴくっと動かしあごをしゃくって(そうなのよ)と相づちを打つ。プンちゃんは宝石商と結婚したそうで、服もアクセサリーも高そうなものになったという。

営業で外に出ていたプンちゃんが会社に戻ってきた。なるほど、化粧も髪型もあか抜けてゴージャス。笑顔も一層輝いてすてきに変身している。ターさんが「お土産のお菓子があるわよ」とプンちゃんに声を掛ける。プンちゃんは、食べたいけどダイエット中なの、と悲しげな顔で冷蔵庫を開け、ひし形に切った橙色のパパイヤが並ぶ皿を取り出した。

タイの食のシーンは自由でおおらか。食べたいときに食べたいものを楽しむ。食事も家族揃って食べる習慣はなく、各自が食べたいときに食べるのが普通だ。井戸端会議のおばさんたちは、甘辛酸っぱいパパイヤの和え物をつまみながらおしゃべりを楽しみ、店番をしている男性は、杏ソースを絡めたエビのすり身団子をようじで突いて口に入れ、仕事の合間に一息入れる。オフィスで働く人たちは、昼食後におやつの果物やスナックを買って会社に戻るし、小学生も休み時間におやつを買って食べてリフレッシュ。みんなのそばには、何かしらおいしいものがある。

タイ料理には「アハーンワーン(間食用の料理)」という、ご飯のおかずにはならないおやつ料理のカテゴリーがある。甘いお菓子からしょっぱいスナックまでいろいろ。牡蠣ともやしをたっぷり入れたお好み焼きのような炒め物や、揚げ春巻きもおやつの料理。エビのすり身をのせたカノムパンナーグン(揚げパン)や日本でもお馴染みのトートマンプラー(さつま揚げ)はキュウリやキャベツなどの野菜が付いてくるスナックだ。インド由来の甘いパン菓子ロティもポピュラーなおやつ。東北料理の豚肉の串焼きや唐揚げはもち米と一緒に食べる軽食だ。酸っぱいマンゴーとハーブをあわせた甘辛酸っぱい和え物もおやつ。量が少なくサクッと食べられる麺料理もおやつの部類に入る。みんながおやつに食べる伝統料理は華やかでバラエティー豊か。たくさんありすぎてここではとても書ききれない。バンコクの街で見るものだけで、軽く300種類を超える。

温暖な気候のタイは、米が年に三度実り、年中多種多様な食物に恵まれた所。おのずと食を楽しむ暮らしが根付いているのだろう。特にバンコクでは一人前の量が少なめだ。満腹になるような食事は好まれない。種類豊富な食材、果物や料理が街には溢れんばかりにあるのだ。食べたいものをいろいろ食べるのがタイスタイル。食は腹を満たすためではなく楽しむためにある。気軽に買って食べる人が多いから、作り手も意欲が湧く。余裕のある食生活が、遊び心を育み、多彩な料理とお菓子を生み出してきた。手頃な値段でできたてのおやつが食べられるバンコクは、まさにおやつの楽園だ。

タイの人にタイのお菓子といえば何? と聞いて、必ず返ってくる答えが、フォイトーン(金の糸)やトーンヨード(金の雫)など名前に黄金を冠したお菓子。タイの伝統菓子には、黄金に見立てたものがいろいろある。この黄金菓子がかつてマスコミを賑わせたことがあった。先代のプミポン国王の飼っていた雑種犬が子犬を8匹産み、子犬たちに付けた名前が黄金菓子の名前だったのだ。「お菓子の名前でかわいい」と国中が沸いた。黄金菓子は、繁栄や成功を象徴する縁起のよいお菓子として供物にも用いられる。まさに王の愛犬にふさわしい名前だった。

お菓子は、僧侶へのお布施にもなる。仏教徒は、毎朝托鉢に訪れる僧侶に、ご飯やおかず、そしてお菓子を喜捨する。古くから米と砂糖が豊富な土地柄。お菓子の種類が多いのは、僧侶に食べてもらうために工夫を凝らしたからだともいわれている。

 十月の満月の日は、仏教徒にとって大事な「雨安居明け」。この日、寺には、朝早くから大勢の人が集い、僧侶たちの読経が厳かに響き渡る。タイ東北地方出身のデーンさんは、故郷の家でしていたように、明日のお布施を粽にするという。庭に茂るマンゴーやコブミカンの果樹が枝葉を広げて木陰をつくる涼しいバルコニーで、バナナともち米を包んだ粽作りを始めた。「子どもの頃、祖母が作るのをよく手伝ったのよ」と言う。砂糖とココナツミルクで煮た紫色のもち米をスプーンですくい、手のひらで平たく伸ばして小さく切った黄色いバナナを包み込む。さらにそれをバナナの葉で包んで蒸籠にきれいに並べていく。

小学校に入ったばかりの孫娘メ座って粽作りをまねしだした。デーンさんはゆっくり包んで見せてくれるけど、メーオちゃんは同じようにうまく包めない。デーンさんが使っているバナナの葉は特別なもので、まだ芽を出す前の茎の中に隠れている薄い黄緑色の葉だった。メーオちゃんが手にしている普通のバナナの葉よりも柔らかく、太陽にかざすと向こうが透けて見えそうなほど薄い。

「おばあちゃん、わたしもその葉っぱで包みたいなぁ」「この葉っぱに触れるのはね、おばあちゃんだけなんだよ。メーオは触れないの」「どうして?」「お寺に持っていくからよ。この特別な葉っぱで包んだ粽をお坊さんたちに食べてもらうとね、包んだ人は心も体もきれいな人間に生まれ変われるんだよ」「だったら、わたしもやりたーい」メーオちゃんが、薄い葉に手をかけようとする。「だめだめ、メーオはまだ生まれ変われないよ。おばあちゃんみたいに、大人になっていろんなことをしてからでないとね」 デーンさんは、粽を器用に包んで蒸籠に入れると、蒸し器の用意をしに台所へ行った。

 メーオちゃんは、薄いバナナの葉を見つめていたが、思い切ったように1枚手にとって、紫色のもち米とバナナをのせた。そーっと包もうとするが破けてしまう。それでもどうにか形にすると、蒸籠の中のおばあちゃんが作った包みの列に紛れ込ませた。笑みを浮かべてどこかに走っていく。不格好でちょっと大きな包みが一つ、蒸籠の中で目立っていた。