中国南部、閩越地方の古代人にとって、天は今ほど遠いものではなかった。空を突くように聳える霊山が天界への通路となるのを感じていたからだ。  

福建省と江西省にまたがる武夷山の岩壁、古いもので三千年以上前の墓が今も残る。天につづく峻崖に葬られた亡骸は、羽化登仙したものたちの脱け殻だ。飛翔して仙人になることを追求する道教では、武夷山を蓬莱山同様に神仙の住処とする。

「養生の術を善くし、寿は七百七十歳たり」という道家の先駆者彭租は、武夷山の開祖。漢の武帝も、長寿をもとめて武夷山を祀った。 

 武夷山といえば、茶の故郷。霊山の岩峰に、神仙の寿命のごとく永い時間をかけ深く根を張った古茶樹がある。仙境の冷気に育まれたこの茶樹からは、天子だけが口にできたという甘露、岩茶が生まれた。

 一椀の岩茶を口に含んだときに訪れる陶酔は、まさに唐の詩人盧仝の言う「通仙霊」なのである。

全長550キロにわたり広がる武夷山脈は、長江水系の贛江、撫河、信江や、福建省を流れる閩江など大河の分水嶺でもある。水と緑に恵まれたこの土地から、多くの神や仙人が生まれてきた。
武夷山最大の洞窟「水簾洞」。道教と仏教の聖地である武夷山は、唐代末以降、戦乱を避けて南へ逃れた詩人や士大夫たちを集め、濃厚な学問と文化を育んだ。朱熹は武夷精舎で儒教を中興し朱子学を大成させた。
仙界に向かう人々。絶壁を縫うように喘ぎながら岩峰の石段を上る。山上の雲は山塊の生じる「気」なのだという。
古代の地理史『山海経』は、霊山武夷の薬草を採りに十人の巫が天と地を昇降していると記す。薬草の一つは茶樹の葉だった。
大紅袍の新芽。武夷は、烏龍茶の故郷。「武夷岩茶」で知られ、その銘柄に大紅袍や鉄観音などがある。
大紅袍の茶葉。皇帝の古茶樹からつくる大紅袍は、年に500gほどしか採れない希少なお茶。高額で取引される。
「芳しいお茶は六清に勝る」という。昔、武夷山の文士や詩人たちは、客が来れば酒の代わりに茶でもてなした。1972年に米大統領ニクソンが中国を訪問した際、毛沢東は武夷山の大紅袍を贈った。
「1日飯は食わずにいられるが、茶を飲まずにはいられない」という程お茶好きの福建人。街のあちこちに茶館があり、夜になると歌や戯曲が演じられる。友人と集い、お茶を飲んでゆったりと夜を楽しむ。

『文藝春秋』2017年6月号掲載 写真・文 沙智 Photographs&Text ©️Sachi