チェンナイ(マドラス)

 インド料理で一番好きなのは、マサラ・ドーサイというクレープ料理。南インドの伝統料理だ。東南アジアの国に行くと欠かさず食べているが、インドではまだ食べたことがない。インドは学生のころから行きたい国だったのに、なぜか行っていなかったのだ。本場のマサラ・ドーサイを食べなくちゃ、というのを口実に弾みをつけ、インドに行くことを決めると興奮した。

 南インドの東側には、全長720キロメートルにわたるコロマンデル海岸がある。紀元前から東西貿易で栄えた港町がいくつもあって、その港から東南アジアに向けて多くの人とものが渡っていった。マレーシアやシンガポールで食べたインド料理店も、かつてその港から渡ってきたタミル人の店だった。タミル人は、インダス文明の担い手と考えられているドラヴィダ系の人たちで、現在その多くがインドのタミル・ナードゥ州に住んでいる。この州にあるチェンナイ(マドラス)を起点に、コロマンデル海岸の古の港町を巡ってみることにした。

マドラスチェック由来の地チェンナイ

 コロマンデル海岸の中央に位置するタミル・ナードゥ州チェンナイのマリーナビーチ。夕方、砂漠のように広い砂浜には、たくさんの人が遊びに来ていた。子供を乗せたメリーゴーランドが回り、馬がいた。波打ち際は、波と遊び楽しむ人たちで埋まっていた。みんな服のままずぶ濡れになって遊び、ほんとに楽しそうだ。その人の群は帯のように海岸線のはるか遠くまで続き霞んで見えた。

 翌朝、マリーナビーチの南、マイラープールという紀元前から交易で栄えたかつての港町に行く。ヒンドゥー教のシヴァ神を奉るカパリーシュワラ寺院を参拝した後、近くのベジタリアンレストランで朝食にした。日本を発つ数日前、ネットで南インドのクレープ、ドーサイを検索していたら、子供のタミル語学習用らしいドーサイの歌の動画を見つけた。「♪母さんドーサイ焼く。父さん4枚食べる。母さん3枚、兄ちゃん2枚、僕1枚♪」というかわいい歌が気に入って、歌を覚えてタミル語の文字をなんとか読めるようにしたのだ。メニューの文字தோசைが、じれったいほどゆっくりだけど「ドーサイ」と読めてうれしくなる。ドーサイは米と豆で作る生地を薄くパリッと焼いたもので、朝食の定番でもある。マサラ・ドーサイは、じゃがいものマサラ(カレー)をドーサイで包んだものだ。みんなと同じように右手でドーサイをちぎっては、小さな器に入ったココナッツやトマトの薬味ソース、チャトニをつけて食べる。トマトのチャトニが濃厚で美味しく、これを自分でつくりたいと興味が湧く。付け合せのサーンバールというタマリンド風味の酸っぱくて辛い野菜のスープには、ドラムスティックという初めて知る野菜が入っていた。

 お寺の近くでサリーを売る大きな店を見つけた。インドは古い時代から質の高い綿織物や調度品で知られ、薄くて柔らかくデザインにも優れた美しい綿織物は海のシルクロードの貴重な交易品だった。16世になると、ヨーロッパからも、自国では作れない高級品を求めてインドにやってくるようになり、イギリス人はインド渡来の品々を「コロマンデル」とよんで珍重した。イギリスがインド進出の拠点としたマドラスも、マドラスチェック由来の地だ。同じ頃、インドの綿織物は日本にも運ばれていた。このお寺に近いサントメ教会あたりの港から積み出され、タイやベトナムを経て日本に渡った。江戸の趣味人が、桟留縞や唐桟と呼んで憧れた織物だ。当時の日本人が見たことのない、絹のような光沢のある縦縞の綿織物は、着物の柄として流行し、後に日本でも真似てつくられるようになった。サリーの店に入り、手織りの綿織物コーナーで縦縞を探してみると、あった! まさに着物の柄だった。

 緑の多いアディヤール地区の、閑静な住宅街にある、インドの伝統医学アーユルヴェーダの治療院に行った。医師の問診を受け、疲れていて体中が痛いと今の体調を伝えた後、それにあわせたオイルマッサージを受けた。シヴァ神のお寺にあるヨニ(女性器の象徴)を模した木製のベットに横たわる素っ裸の私の手や足を、ふたりの女性がオイルでマッサージしてくれる。インドのお姫様ってこんな感じだったのかもしれないと思う。マッサージの後は、ぽかぽか暖かくなり体が軽くなった。実は私は軟弱な体質なので、いままでオイルマッサージやスパなど怖くて受けたことがなかったのだが、アーユルヴェーダは違うなぁ、私に合っているのかもと思う。昼食は、この治療院が勧めてくれたベジタリアンレストランでとった。6種類のドリンクから始まり、給仕の人がバナナの葉の上に、次々何種類もの料理を載せてくれる。どの料理も素材の味を生かし工夫されている。甘い、酸っぱい、しょっぱい、辛い、苦い、渋いといろんな味がする。アーユルヴェーダの食は六つの味で分類されるそうだが、タミル料理には、この6味全てが入っているという。

織物の町 カンチープラム

 カンチープラムは、ヒンドゥー教七代聖地のひとつで、インド各地から巡礼者が大勢訪れる。金糸を織り込んだシルク、カンチープラムサリーも有名だ。向かう途中、小さなの街の市場を覗いた。野菜やスパイスにあふれ、買い物客で賑っていた。南インドの料理に欠かせないハーブ、カレーリーフを売る店で、お米からつくった冷たいライスミルクをご馳走になった。細かく刻んだハーブが入っていて爽やかな香りがした。手織りの綿織物を作る村にも寄り、糸紡ぎや染色、布を織っているのを見せてもらった。女性が糸を紡ぎ、男性が機を織る。織っている布地はマドラスチェックで、男性の腰布ルンギになる布だった。

 カンチープラムの町の北にエーカーンバレーシュワラというこの町で一番大きな寺院がある。寺院の楼門ゴープラムはインドで一番高い。院内の回廊は重厚で天井も高く、彫刻も緻密で迫力があり、インドはやっぱりすごいと感嘆する。この寺院には、樹齢3500年のマンゴーの樹があって、ヒンドゥーの神様シヴァとパールバティーはそのマンゴーの樹の下で結婚したのだそうだ。ここはロマンスのあるお寺なのだ。

 寺の中で何かの儀式をしている人たちがいた。初老の男女が手を合わせて司祭の前に座っている。近くにいた若い男性に尋ねてみると、彼の両親の結婚60周年記念の儀式だと教えてくれた。供物の花や幾種類もの穀物がきれいに並んでいて、司祭が火の前で呪文を唱えていた。息子さんは、ティラクジャンさん。手を合わせている両親の後ろには、いとこやおじさん夫婦もいた。どうぞ食べていってくださいと、供物のお菓子を葉の上に載せてくれた。ミルクの香りいっぱいのお菓子だ。シヴァ神のお寺で供物のお下がりをいただけるなんてうれしく思う。一緒に写真をとりましょうと誘われ、ご両親の後ろにみんなで並び記念写真を撮った。

海岸沿いのヘリテージタウンパーンディチェーリ

 パーンディチェーリ(ポンディシェリーともいう)も紀元前から開けた港町だった。町の南の川沿いにはそれを物語るアリカメードゥ遺跡がある。町には、後世にフランス領の首都だったところがヘリテージタウンとして残っていて、ユネスコが修復した通りには、古い建物がホテルやカフェやショップになってある。タミル様式の古い商家は、太く丸い独特な柱のせいか、チベットのお寺や和を連想させる。縦に長く中庭があるつくりは、東南アジアに多い中国人のショップハウスと似ていて興味がわいた。町の資料を展示するヘリテージセンターの責任者アショックさんに聞くと、オリジナルはタミルですよと教えてくれた。町はそれほど大きくなく散策しやすい。この日は日曜日で、マハトマ・ガンディー通りには恒例の市が立ち、たくさんの人でごった返していた。

 翌朝、賑わいの引いた同じ通りに男性6人で料理をしている屋台があった。ピカピカに磨かれた大鍋やステンレスの器が並んでいる。何の店か聞いてみると、「朝ごはんだよ」と中のひとりが言って大鍋の蓋をあけて見せてくれた。湯気の中からイドリという真っ白な蒸しパンが現れた。その隣では、ワダイという揚げ物をつくり、奥では生地を丸く伸ばしている男性がいる。「この仕事は朝だけ。みんなオートーの運転手なんだ。」と通りの反対側に並ぶ黄色い三輪タクシーを指差した。運転手さんたちが副業として仲間20人で経営してるのだそうだ。食べていきな、と出来たてのワダイとイドリを小皿に出してくれた。イドリがふわふわで美味しい。お代を払おうとすると、要らないよという。ありがとう、と遠慮なくご馳走になった。

 フランス様式の建物が並ぶ静かな通りから、海岸通りへ出た。海側へ渡ろうとしたとき、白い車が私の右横で止まった。小さな三角窓がついたずいぶん昔風の車で、外は暑いのに窓が全開だった。白いシャツを着た白髪のおじいさんがハンドルを握り、その隣には白髪をひとつに結ったおばあさんが白と水色のサリーを纏い座っていた。車はピカピカに磨かれていて、きっと若いころから大事に乗り続けているのだと思う。車が私の前をゆっくり左折した。白い車と白髪の老人、その向こうに広がる水色の海が重なったとき、爽やかな気品が漂うのを見た。後になって、その車はインドで60年前から生産され続けているアンバサダーという車だと知った。

静かなリゾート マーマッラプラム

 マーマッラプラム(マハーバリプラム)は、パッラバ朝の首都カンチープラムの貿易港として栄えた町だった。今はのどかな漁村で、チェンナイから近い静かなリゾートでもある。浜には漁から戻った色とりどりの小船が並び、白い砂浜の先には寺院遺跡が静かに建っている。八世紀ごろつくられたという最初期の石積み寺院で、世界遺産に登録されている。その南には、岩を彫って造った岩石寺院の遺跡群がある。

 この日は祭日で、遺跡にはチェンナイからたくさんの人が遊びにきていた。普段街で見るより女性たちのサリーが華やかで、子供たちの服装も踊り子やお姫様のようだ。みんな遺跡を前に記念写真を撮っていた。一緒に写真をとりましょうと何人にも誘われ並んでカメラに向かう。不思議だけどとても楽しい。私だけみんなと顔が違うからか、みんな興味をもって話しかけてくれる。中学1年生ぐらいの少年が「なに人ですか?」と声をかけてきた。両親と妹と一緒に来ていて、彼の後ろでお父さんが英語で話しかけてみなさいと言っているようだ。「ごはんはたべましたか?」と聞くので、マサラドーサイを食べたよと答え、「おうちではドーサイ食べる?」ときいてみると、「毎朝、お母さんがドーサイを焼きます」と答えた。ドーサイの歌がそのまま目の前に現れたようで、うれしくて胸がどきどきし、何枚食べるの?と聞きそうになった。

 岩山の頂上の神殿まで登ると、パノラマの風景が広がった。コロマンデル海岸の青い海から風が吹き寄せ、夕方の柔らかい光を浴びていくつもの巨岩が緑の大地に寝転んでいた。

 翌朝、海岸を散歩して遺跡の駐車場に出ると、ピカピカに磨かれた白いアンバサダーのタクシーが止まっていた。これに乗ってカンチープラム経由でチェンナイに戻れたらいいと思い、運転手さんを探した。

約束の時間、車がホテルに迎えに来た。朝出会った、白いアンバサダーだ。町を抜け、太い樹が茂る田舎の並木道をゆっくり走った。開け放たれた窓から気持ちのいい風が入ってくる。通り過ぎる集落を眺め、砂糖椰子が点々とする緑の草原や田畑の中を、土と草の匂いを感じながら車は進んだ。

『Skyward』2013年2月号 写真・文 沙智 Photographs&Text©️Sachi